言葉が流れていく

 ドミの面々と昼飯から戻り真っ先にシャワーを確認したものの、湯はまだ出なかった。いつも朝に取り替えられる魔法瓶の湯もそのままで茶も飲めない。催促がてら従業員に尋ねても、朝九時すぎには昼前と言われ、次は一二時すぎ、そして一五時半と延びていく。

 昨夕、サンタフェ氏がシャワーの確認に行ったときから様子がおかしかった。係の手違いでスイッチを入れておらず、夜になったら使えるからと説明された、もう少ししたらたぶん暖かくなるとサンタフェ氏は言ったが、約束時間に数人でシャワー室に向かい、すぐさま震えながら跳び戻ってきた。ひとり以外は湯がパイプの口から飛散して浴びられなかったらしい。

 雨が降りつづいてた。ぼくたちは寒い寒いと言いながらふとんにもぐり、顔だけ出す。

「ここのところ、私の行ったところは」サンタフェ氏はふとんのなかで都市の名を四つ挙げた。「雨ばかりだったから、もしかして私のせいかもしれないよ」
「日本では雨男と言うんですよ」
「じゃあ私は雨男かもしれない」
 そんな話をしているとやっとベッドメークの女の子たちが入ってきた。当初は朝だったのがしだいにずれ、今では夕方になっている。
「五人来ればね」サンタフェ氏が言った。「ベッドに入って、我々を温めてよ」
「ぼくもお願いしたいですね」
「中国式だね」とサンタフェ氏は高らかに笑った。

 まだ九月の終わりだというのに、冬のような冷気がガラス窓と木枠の隙間から漏れ入ってくる。雨のせいか日ごとに気温は下がっていた。厚着していても体の芯から震えが来るような冷え込みで、外から戻ると誰もがぼやきながらふとんに入り、トイレさえ我慢してしまうほどだ。シャワーで暖を取りたくても原因不明のまま使えない。「スイッチの入れ忘れ」が「故障」になり、すぐにでも直るような口ぶりも三日目となると誰も信じなくなった。ぼくはあきれ、サンタフェ氏も「ホテルの支払いを拒否するよ」という。けれどその口調は穏やかで本気には聞こえない。文句を言いつつ誰も宿を替えないのは、このドミの居心地のよさゆえだった。一一床の客の国籍は八、九カ国とばらばらで、メンバーが入れ替わりながらも落ち着いた空気は変わらなかった。

 こういうときこそと過去の日記の空白ページを開いたものの、いっこうに埋まりそうになかった。しかしそれでいいのかもしれない。そのうち記憶は薄れていくとわかりながら、過ぎたことに強い気持ちを向ける気にはならなかった。現在を生きたいと思った。この瞬間を生きなければ、今を逃してしまえば、取り戻そうとしてもそれは過去のものにすぎないのだ。そして、今を生きることは難しい。それはつまり、海の波のようにたえず発生し揺れ動くありのままの感情や自分の反応にそのとき向き合うことだった。

 夕方、デンマーク人のラズと話をしていると、寝ていたサンタフェ氏が目をさました。ふたりの会話がはじまると、そのテンポにぼくが口をはさむ余地はなくなった。自分のことばかり話しつづけ止まる気配のないラズの横顔を眺めながら、大切なのは言葉数ではなく内容であるのは英語だって同じだと思いつつも、自分の舌足らずな英語がもどかしかった。突っ込んだ話をしようにも、じっくりと核心に近づくことができない。

 現在六二歳のサンタフェ氏にはぼくくらいの歳の子供が三人いるという。今は亡くなった家族の保険金で生活しているらしい。四年間アメリカでヨガ道場に通い、住んだこともあるのだと彼は話した。いわゆるニューサイエンス系に興味を持っているようだが、そんな話では彼の深い部分に近づけない。もし日本語なら違うのにと思わずにはおれなかった。

 夜の十時すぎ、英語の流暢な東洋人の女がやってきた。係に案内されて部屋に入ってくるなり、まだ係が彼女の方を向いているというのに、ラズとオーストラリア君の会話に「そこはいいところよ」と割り込むと、荷をほどくこともなくぺらぺらとしゃべりはじめた。その様子に、自分が英語を思いのままに話したいという願望にとりつかれていることにふと気がつく。英語がもっとできさえすれば、と。それはまるで、これさえあれば幸福になるという魔法の杖だった。金があれば、時間があれば、あれがあればという思考。何であろうと欲望に呑まれた状態は同じだ。それ以外はすっかり目の前から消え、むしろ大切なものを見失っている。女は一時間以上たってもしゃべりつづけていた。合間に「ファッキングアスホール」「マザーファッキングアスホール」と口癖のように繰り返し、「それ可笑しい」とケタケタ笑った。話に中身がないのは明かだった。流暢に言葉を操れたとしても、とぼくは思った。ただ言葉が流れていくだけ。