できるのは分け入ることだけ ハノイ

 ハノイに着き、ホアンキエム湖のそばに宿をとった。

 紅河沿いを北上すると、雰囲気の違う集落があった。子供たちが思い思いに遊びまわっていて、おそらくそのエネルギーが違いの要因だった。これまでも楽しげに遊ぶ子供たちを目にしたし、総じて日本の子供たちよりも元気に見えた。けれど眼前に生まれているものは次元がまるで違った。エネルギーの発露を遮るもののない生の躍動感に、ぼくは「自由」という言葉を思い浮かべ、その向こうに自分の旅を透かし見た。トゥーンが言っていたように、ぼくはたしかに自由に旅をしていて、彼らは一生外国を旅することなどできないのかもしれない。けれどぼくは、経済的にはそうでも、精神的にはどうだろう。これはしてはいけないと常識で自らを縛り、これは自分らしくないと自己イメージで殻を規定し、こうすべきという理想で行動を制御する。そうやっておどおどと自分を護りながら旅をしていて、自由といえるのだろうか……。

 幹線道路沿いにスラムがひろがっていた。不法に建てられたのだろうバラックの壁は傾き、茅葺きのような屋根のところどころにトタンがかぶせられ、重石がのせられている。寄せ集めの廃材で造られた掘っ建て小屋だった。

 またぼくは歩く。

 路地が冠水した一帯があった。貧しい地区でもなさそうだが水捌けが悪いらしく、付近の道は泥色の水に隠れ、十センチほどの高さで家々の壁を浸していた。雨が集中するとこうなるのだろう。ぼくがじゃぼじゃぼと水の中を進んでいくと、家の入口に立って通りを眺める親子がいる。そこから十数メートル離れた水たまりの中に少年たちが立ち、水のなかに石を投げていた。彼らに向かって、家の入口に立った親父がやめろと叫んだが、少年たちは聞く耳を持たない。ひとりが投げた石が三回、四回と水面をはね、親子のそばの戸口の壁にあたると、親父は拳を振りかざして怒鳴り、やがて少年たちは去っていった。

 ぼくはまた歩きはじめる。

 公園で子供たちが遊びながらはしゃぎ声をあげている。そのなかを木枯らしのように通りすぎていく、圧倒的に貧しい子供たちがいた。彼らは靴もぞうりもはかず、汚れた身なりで、無表情のまま、公園の同世代の子供たちとはまるで関係を感じさせず、小禽の影のようにただ横切っていく。金属ゴミやペットボトルの入ったズタ袋を手に。さっき集落で目にした子供たちのエネルギーとは対極にあった。さっき湖の南でぼくに手をさしだした薄汚い身なりの少年の表情を思い出した。そのあたりには数多くの物乞いや物売りの少年少女がいたが、その少年の生の擦り切れたような目つきは異様だった。声はなく、ただ掌を見せただけで、目で訴えようとさえしていない。消耗した人間型ロボットアンドロイドの方がましな顔だろうと思えた。ぼくが彼の手に小額をのせると、彼は無表情でポケットの中に入れ、ぼくの顔を見ることもなく、雨の日の回転木馬のように去っていった。あるいは雨上がりの道ですれ違った男。上半身裸に裸足で、どろどろの半ズボンを履き、汚いビニール袋を布のように体にまとい、たくさんの車が行き交う国道を南に歩いていた。

 まるで平等ではない。桁違いで圧倒的な貧富の差があり、ヒエラルキーが存在する。それは高低差であり、流れ出す水と流れ込む水の激しさのように、それぞれの人生のまわりで渦を巻き、人を飲み込んでいく。

 ふと、ぼくのなかに言葉が舞い降りる。深く分け入っていくこと……。ぼくにできるのはただ、静かに深く分け入っていくことだけ。

 そしてぼくはまた歩きはじめる。