空をゆく列車

 外から見た河口駅は強い陽光に色が褪せ、閑散とした雰囲気のなかにありました。待合い室は意外と広く、多くの人が黙って座っています。

多少銭トーシャオチェン(いくら)?」

 これがはじめて実地でつかう中国語でした。駅舎の外の売店で水を買おうと値段を訊くと、中年の女の返答はあらかじめ想定していたいくつかの数字の発音とは程遠いものでした。ふたたび訊ねると怒ったような言葉が返ってきて、結局わからずにぼくは一〇元紙幣をさしだしました。五〇〇ミリリットル入りの水が四元(六〇円)で、一リットル三〇円ほどのベトナムと比して妥当なのかまだ判別がつきません。小売店らしき、コンクリのブロックを積んだだけという風情の建て屋に入ると、合成ビニール感むきだしの黒いソファに寝転がった男がビデオの鑑賞中です。アーミー風のパンツから裸足の足を出し、おかっぱ頭に腕をまわした男は、ぼくが音をたてても振り向きさえしません。そこに入ったのはビデオの音に日本語が混じっていたからですが、荒唐無稽のスパイもののようです。ガラスケースには中途半端な量の日用品などが置かれ、誰に売るのかよくわからない手錠や警棒まで入っていました。

 到着した列車のぼくたちの硬臥寝台には、当然なのか先客はいませんでした。スピードが上がりはじめると景色がうつろっていきます。谷をはさんだ向かいの山肌にひろがる広葉樹が美しく、橙色や黄金色のちりばめられた色合いは見飽きることがありません。まわってきた乗務員に頼んだ昼飯の弁当を食べ終わると、ナナさんがスチロール容器を窓から車外に投げ捨てました。呆気にとられているぼくに彼が一言。
「郷に入らば、だよ」
「適応早いなあ」

 ぼくには、旅慣れた彼ほどの思いきりがまだつきません。急傾斜の山肌にへばりつくようなレールの上を列車はひた走ります。視界にあるのはただ山ばかりで、家屋はめったに見当たりません。それでもトンネルをぬけると間近の斜面に家族とおぼしき少数民族の姿があらわれ、また、崖下で家畜を連れた人と至近距離で互いにじっと視線を合わせます。はたまた見渡すかぎり一軒の家もない遠い斜面に小さな人影を認め、彼の暮らしに思いを馳せます。

 夕陽が沈むと外の世界から色彩は消え、陰翳も失われていきました。車内に電灯がつくと外は真っ暗です。星は見えず、車輪とレールのこすれる音以外何の音も聞こえません。窓から下を覗き見ても闇はただ深く、列車は宙をすすんでいるかのようです。

 餐車で買った弁当で夕食をすませると、ぼくはまた外を眺めます。大きくあけられた窓から流れ込む風が心地よく、それは暗闇の向こう側にあるものをぼくに思い描かせます。ときおり、黒くつぶれた夜空の下の、どこが空との境目かわからない空間に、民家のものらしき小さな明かりがぽつんと沈んでいます。けれどほんとうはそうじゃないという考えにぼくはとらわれるのです。窓辺にたたずみ虚空をじっと見つめながら、車輪が奏でる単調な響きと揺れのなかで、ぼくの夢想はひろがっていきます。民家の明かりに思えるもの、あれはまさしく星影で、ぼくは今まさに星星に見守られながら銀河鉄道に乗って空を飛翔しているのだと。