三峡

 船内放送で目をさました。ケニー・GのBGMが流れ、外の足音と話し声が大きくなった。廊下に出てみると、ここで降りて皆どこかへ行くらしい。夜中に船が動いていないことに気づいてはいたけれど、朝を待って(といっても外はまだ真っ暗だ)碇泊ていはくしていたのだろう。不安をおぼえて乗降フロアに行ったものの、筆談も面倒で引き返した。日本人留学生の部屋をノックしたが反応はなく、廊下を戻りながらうろたえている自分に気づいた。体が熱っぽく、目にも違和感がある。熱を計ると三八℃で、外出はやめた。昨晩何度も目がさめ、狭いベッドからずり落ちる毛布をかぶり直しながらひどい寒さを感じたが、やはり前日の硬座で疲れていたのだろう。

 解熱剤を飲む前に胃に何か入れておこうと、親友からもらった餞別のフカヒレスープの素をマグカップに入れ、湯を注いだ。そして食堂に行って箸の入ったかごを指し、「これをください」と近くの従業員に中国語で声をかけた。するとその女は無言でかごをつかみ、隠すように遠ざけて棚にしまった。一本だけとぼくが示すとふんという顔を見せたので、盗んでいく奴が多いのだろうと「いくらですか?」と訊いたが無視して離れていき、開いた戸棚をバーンと強く閉めた。「何でそんなことするねん!」と大声を放ちながら、ぼくは先日昆明で出会った日本人大学生の言葉を思い出していた。他の店員が、ぼくに背を向けた女の顔を盗み見している。おまえは何様じゃと吐き捨てて食堂を出た。威圧して箸を手に入れようとは思っていなかった。そもそも感情にまかせて怒鳴ることは、他人の行為のなかでもっとも嫌悪していたものだった。それでも、この旅のはじめ、タイでトゥクトゥクのドライバーに怒りを露わにする旅行者が解せなかったのはもうかなり前のような気がする。そして今や、一方的な態度を黙って甘受するよりせいせいするとさえ思う。それにしても、客に糞という言葉を吐き捨てる郵便局員にせよ、額を間違えても謝らない銀行の窓口係にせよ、中国での不快な接客体験はなぜか女ばかりだ。ぼくは自分の意思疎通の能力や努力不足を棚にあげ、そんなことを思い返した。

 下船した人々が高台にある町への長い階段を上っていくのが見えた。こんな朝まだきにどこに行くのだろうと思わずにはおれない光景だ。たぶん三国志の史跡あたりだろう。自室に戻りかけると、昨日のオランダ人の男が別室から出てきて廊下突き当たりの大窓の方へ歩いていった。ぼくが昨日乗船したとき、三人部屋の先客だった白人カップルはベッドで肩を抱いて親密な雰囲気を醸し出していたが、ぼくが同室だとわかると男は露骨にむっとした顔を見せた。この船にはシングルやダブルの一等船室はなく、ベッド三つの二等以下だけだ。船が動き始め、二人になりたいオーラの毒気にやられて船内をぶらついていたとき、日本人留学生の三人組と知り合い、晩飯を食べた。自室に戻ると、オランダ人カップルの姿はなかった。

 おかげでひとりの船室は気楽だった。ベッドで本を読んでいると、二時間ほどで乗客が戻りはじめた。外は雨らしく人々は傘をさし、空はどんよりとしてまだ薄暗い。ケニー・Gのサックスがまた鳴り渡り、船が離岸した。熱が下がらないので横になりながら、ときどき船内アナウンスで目をさました。たびたび着岸していたが、どこなのかさっぱりわからない。アナウンスのたびに三峡かと服を着込んだものの、あとで係の女の子に訊くと明日らしかった。

 夕方、眠っていたところに中国人の乗客が入ってきた。彼は宜昌市の国営旅行社に勤め、添乗を終えて帰るところなのだという。一日休みを取って実家に寄り、明日、宜昌まで戻るらしい。とても二四歳とは思えないユイ氏は、仕事で今までに訪れた場所を書き並べて自慢げだ。そこに昨晩部屋から消えたオランダ人の男が来室し、昨日はすまなかった、他の部屋に変えてもらったと言うので、気にしていないとぼくは答えた。結局、その晩遅くに余氏が下船するまで、ぼくたちはお互いの律儀さを競うかのように筆談をつづけた。ただ、ひととおりの自己紹介を超えたやりとりとなると話がなかなか噛み合わなかった。宜昌にいい宿はないかと訊ねると、明晩、宜昌港まで迎えに来て宿まで連れていってあげると彼は申し出てくれた。

 翌日、ボートで小三峡見物をした。三峡を通過したのは夕方だった。二等客専用とは名ばかりの、船首に設けられた狭いデッキに出ると、両岸に迫る急峻な山肌の夕映えが美しかった。そのあいだを鷹が舞っていた。

 夜半すぎ、どこかの街のそばを船が通過した。部屋の灯を消し、ベッドに腰かけて外を眺めると、広告のような、けれど点滅もせず派手さもない電飾がいくつか点り、あとは低層ビルの窓から灯がもれているだけだ。それでもひさしぶりに目にする都会らしき夜の雰囲気に、ぼくは郷愁のようなものをおぼえ、暗くした部屋のなかで飽きずに見つめた。

 深夜二時前、予定を大幅にすぎて船は宜昌港に着岸した。遅れたのは山峡ダムで順番待ちに時間を食ったためもある。ダムの水門を通過するとき、エレベーターが黄土色の灯のなかで鈍い音を発しながらロボットアニメの実写版のように船を降下させ、ぼくにとってこの船旅でのハイライトになった。

 下船すると、こんな夜中にもかかわらず余氏が迎えに来てくれていた。気の毒にもずっと待っていてくれたらしい。歩いて彼の事務所に向かうと、そこは八畳ほどの部屋に机二つだけのこじんまりとした旅行代理店だった。時間も時間なのでホテルに行きましょうとぼくは促し、彼に連れられて近所の招待所に入った。しかし門番兼フロント係のような老人が出てきて、外国人は駄目だという。これ以上余氏を頼りにするのも忍びなく、あそこならいけるだろうというホテルの名前をきき、礼を言ってひとりでタクシーに乗り込んだ。

 着いたのは五、六階建ての、内装の古臭さが目立つホテルだった。宿泊料は二百元もし、値下げをかけあっても取り付く島もない。料金表のどこにもそんな数字が見当たらないので不審に思い訊ねると、ひとり五十元のツインを占有するから百元、それに外国人だから二倍して二百元という論理らしい。あほらしくなり、他の安宿を訊いて外に出た。しかし近くにあるはずのそれは見あたらず、ぼくは疲れをおぼえて暗い道を引き返した。さっきの会話を思い返してみても、それが妥当な料金なのか判別がつかなかった。大理の宿なら二十泊できる額がここでは一泊で消えてしまうのか、都会はどこでもこんなものなのだろうか。客の足元を見て個人的な小遣いを得ようとしているとも考えられた。声をかけてきたバイタクの女性ドライバーに外国人の泊まれる招待所はないかときいてみたが、話が通じない。疲れをかばうように、ぼくはとりあえず港まで乗ることにした。待合所のようなものがあるはずだ、そこが開いていればいいけれど……。

 さっき船から出たときの通路から入ると、空き地にバスが二台停まっている。客引きが「武漢ウーハン?」と声をかけてきた。武漢に行くのか……。値段は四十元だという。もうホテルを探す気にはならないし、さっきのホテルに泊まる気もしない。かといって治安のわからない町で野宿などしないほうがいい。車内で夜を過ごせ、ついでに少しでも上海に近づければ。それでいいような気がした。乗ってみようか。

 離れた外灯の光だけが射し込む薄暗い車内に座っていると、こんな時刻にどこから集まってくるのだろうというほどの客が乗り込んできた。一つだけ心残りがあった。今になって気づいたけれど、明日、もしかしたら余氏はホテルを訪ねてきてくれるかもしれない。ぼくのことを訊ね、どうしたのかと思うだろう。もしそうでなくても、ぼくがどうなったのか気にはしてくれるだろう。たとえ明日また会っても、すでに船内で思いつく限りの会話をしたので話題は思い浮かばない。それでも、ホテルにも泊まらず彼に何も知らせないで町を去ることは、深夜まで待ってくれた彼にたいする礼儀に反していないだろうか。せめてもう一度訪ねて礼くらいは言っておきたかった。手紙を出そうにも住所もきいていない。そんなことを疲れと眠気で朦朧とした意識で思ったものの、それは意味のない思考にすぎなかった。午前四時前、ほぼ定員いっぱいでバスは出発した。