時の流れ

 ビンタイ市場は、チョロンの一画の薄暗い建物の中にあった。場内に雑然とならぶ店は、観光客の多い中心部の店のようなあからさまなカモ扱いは少なそうだった。試しに訊ねると、前に買ったのと同じサインペンや爪切りは二、三千ドン安い。それが地元民価格ローカルプライス――ベトナム人が払う値段をそうだとすれば――かは知る術もないけれど、ベトナムに入って以来、高値をふっかけられることに神経をとがらせていただけに、なんとなくほっとする思いだった。

 ちょうど昼の休憩時間なのか、菓子屋の横で母子らしきふたりがくつろいでいた。母親は椅子に浅く腰かけて裸足の足を商品の陳列台にのせ、悠々とフルーツを口に運んでいる。その横で、悪ガキといった風貌の七、八歳の少年がスプーンでデザート菓子をすくっている。別の店の陳列台には、雑多な商品のあいだに体を小さく折り曲げて中年の女が横たわり、安手の紙に刷られた文字だけのタブロイド紙を読んでいる。その懐中時計をかりかりと手で巻くような時の流れに、ぼくは溶け込んでいく。日本ではもうこんな光景は見られない。けれど、これくらいゆったりと生きてもいいのだと思う。こんなふうに力を抜けばいい。あくせくしなくても、肩肘張らなくても、神経質に他人の目を気にしなくても、やさしく慎ましく暮らしていければ、それはとても平和な生活なのだろう。旅に出た頃、ぼくの精神はやはり何かを追いかけていたのかもしれない。目に映った状景を時代の逆行として、ただノスタルジックな感傷として否定していた。しかし今はそんな心情が変容しつつあった。

 市場の外には、生鮮品の店が間口狭く軒を連ねている。どこも、果物なら果物だけ、野菜だけ、肉だけと特化していた。大きなとうかごや金盥かなたらいが隙間なく並び、商品が積み上げられている。香辛料、春巻、米、卵、干物……。この躍動感と野生的な迫力には日本のスーパーなんてかなわない。何羽もの鶏が生きたまま足を束ねられ、自転車の荷台に逆さにくくられて運ばれていく。鶏たちは紅い鶏冠とさかを並べ、あきらめ顔でじっとしている。トラックの荷台から、積み上げられたバナナの房を男たちが投げおろしている。

 町角の寺に入ると、あらゆる音が吸い取られたように深閑としていた。上を仰ぐと、天井の採光穴から一筋の光が斜めに射し入り、薄暗い空間を切り分けている。梁から巨大な巻き型の線香がいくつもぶらさがり、その煙が天井からの光の帯を横切ってゆらゆらと立ち昇っていく。煙の粗い粒子のひとつぶひとつぶが、光にくっきりと浮かびあがっている。時が上向きに流れ戻っていくかのように、そこだけが別の流れを刻んでいた。ときおり外から吹き込む風で壁の換気扇がゆっくりとまわり、羽のあいだから漏れ入る光線が薄暗い堂内を回転していく。その様が何とも美しく、ぼくは見とれた。

 寺を出て、チョロンのはずれで印象的な少年を見かけた。彼は、小さな工場こうばで業務用らしき扇風機の太いパイプに金槌を振り下ろしていた。小学校の低学年くらいにしか見えない体と幼い顔立ちだった。その姿に引きつけられ、ぼくは少し離れた場所からじっと見つめた。彼は錆びたパイプをしばらくたたくと、別の工具を手に溶接をはじめた。強いて挙げれば、そのアンバランスさだった。工具の大きさににつり合わない小柄な体躯と、溶接の火花、一人前の手つき、小さな顔には大きすぎる広フレームの前時代的サングラス。薄汚れた白い半袖シャツに中途半端な丈の黄土色のズボン、ぞうり、スポーツ刈りのような頭髪。間口の狭い工場には、家族なのだろう三人の男女がいた。彼の父らしき男と、母と姉らしき女。ぼくは道端にたたずんで考えていた。今の日本の常識に照らせば、彼は同情される境遇なのかもしれない。たしかに彼は、あんな幼さにもかかわらず働いている。けれど、だからといって彼は不幸なのだろうか。彼の幸不幸を他人が画然と切り出すことなどできるのだろうか……。問題がないとは思わない。それでもなお、これまで彼のような少年少女たちに接しながら、型にはまったイメージは融けつつあった。彼らの生きる姿のたくましさや、薄汚れた姿に発露する清冽に目を開かされ、生命力の本質に触れられた気がした。

 町を歩くと、人びとの暮らしぶりは多様だった。仕事に精を出す少年少女がいれば、手持ちぶさたで暇そうな男たちがいる。市場では働く女性を後目に中年の男たちがトランプに興じ、アメリカ製のラブバラードが響くカフェで昼日中から若い男たちが沈黙に浸っている。バラックの建ち並ぶ一角に手牽き屋台が置かれ、その横の家の開いた戸から丸見えの狭い室内には、意外にも真新しいテレビとビデオとステレオが並び、デッキチェアに寝ころんでテレビを眺める男がいる。家の貧しい外観と狭い室内とそれら家電にはギャップがあった。

 商店の店頭には既製品を細かく分解した部品が並び、町角には路上にパーツを数個置いただけの即席の露店が出ている。バイクでも自転車でも電化製品でも、ばらせる限りまで分解して徹底的に使い、日本の粗大ゴミならたちまち蘇生させてしまいそうだ。そうせざるを得ない事情もわかりつつ、そういう暮らしはぼく好みだった。

 ぼくは歩きつづけた。趣の異なる建物の門をくぐると、小さなプールかと思ったものはイスラム寺院の水浴用水槽だ。交差点の横で建物をスケッチし、芳香を漂わせるパン屋に入り、道を歩きながら口を動かした。

 やがて動きの鈍い思考は流れ、去っていった。そしてしだいに、人びとの態度の細かな違い――シクロの微笑みにしろ、バイクの運転の仕方にしろ――が見えてきたような気がした。ぼくはひとまとめにくくっていたのかもしれない。決めつけられたイメージは、せっかくの暖かな笑顔や好意、人間らしささえ、「ベトナム人」という大雑把なフレームの影に隠してしまう。雑然とした町のなかで、窮屈な型に自分を押し込めることなく生活する人びとの表情は活き活きとして見えた。

 帰りのバスでは、夕食の買物帰りだろうおばさんが、生きたニワトリをプラスチックの買物かごに入れて座っている。切符係の女性はニャンを口に放り込み、皮とタネを座席の下に投げ捨てている。ぼくはこっくりこっくりと頭を揺らしはじめる。