ビンタイ市場は、チョロンの一画の薄暗い建物の中にあった。場内に雑然とならぶ店は、観光客の多い中心部の店のようなあからさまなカモ扱いは少なそうだった。試しに訊ねると、前に買ったのと同じサインペンや爪切りは二、三千ドン安い。それが
ちょうど昼の休憩時間なのか、菓子屋の横で母子らしきふたりがくつろいでいた。母親は椅子に浅く腰かけて裸足の足を商品の陳列台にのせ、悠々とフルーツを口に運んでいる。その横で、悪ガキといった風貌の七、八歳の少年がスプーンでデザート菓子をすくっている。別の店の陳列台には、雑多な商品のあいだに体を小さく折り曲げて中年の女が横たわり、安手の紙に刷られた文字だけのタブロイド紙を読んでいる。その懐中時計をかりかりと手で巻くような時の流れに、ぼくは溶け込んでいく。日本ではもうこんな光景は見られない。けれど、これくらいゆったりと生きてもいいのだと思う。こんなふうに力を抜けばいい。あくせくしなくても、肩肘張らなくても、神経質に他人の目を気にしなくても、やさしく慎ましく暮らしていければ、それはとても平和な生活なのだろう。旅に出た頃、ぼくの精神はやはり何かを追いかけていたのかもしれない。目に映った状景を時代の逆行として、ただノスタルジックな感傷として否定していた。しかし今はそんな心情が変容しつつあった。
市場の外には、生鮮品の店が間口狭く軒を連ねている。どこも、果物なら果物だけ、野菜だけ、肉だけと特化していた。大きな
町角の寺に入ると、あらゆる音が吸い取られたように深閑としていた。上を仰ぐと、天井の採光穴から一筋の光が斜めに射し入り、薄暗い空間を切り分けている。梁から巨大な巻き型の線香がいくつもぶらさがり、その煙が天井からの光の帯を横切ってゆらゆらと立ち昇っていく。煙の粗い粒子のひとつぶひとつぶが、光にくっきりと浮かびあがっている。時が上向きに流れ戻っていくかのように、そこだけが別の流れを刻んでいた。ときおり外から吹き込む風で壁の換気扇がゆっくりとまわり、羽のあいだから漏れ入る光線が薄暗い堂内を回転していく。その様が何とも美しく、ぼくは見とれた。
寺を出て、チョロンのはずれで印象的な少年を見かけた。彼は、小さな
町を歩くと、人びとの暮らしぶりは多様だった。仕事に精を出す少年少女がいれば、手持ちぶさたで暇そうな男たちがいる。市場では働く女性を後目に中年の男たちがトランプに興じ、アメリカ製のラブバラードが響くカフェで昼日中から若い男たちが沈黙に浸っている。バラックの建ち並ぶ一角に手牽き屋台が置かれ、その横の家の開いた戸から丸見えの狭い室内には、意外にも真新しいテレビとビデオとステレオが並び、デッキチェアに寝ころんでテレビを眺める男がいる。家の貧しい外観と狭い室内とそれら家電にはギャップがあった。
商店の店頭には既製品を細かく分解した部品が並び、町角には路上にパーツを数個置いただけの即席の露店が出ている。バイクでも自転車でも電化製品でも、ばらせる限りまで分解して徹底的に使い、日本の粗大ゴミならたちまち蘇生させてしまいそうだ。そうせざるを得ない事情もわかりつつ、そういう暮らしはぼく好みだった。
ぼくは歩きつづけた。趣の異なる建物の門をくぐると、小さなプールかと思ったものはイスラム寺院の水浴用水槽だ。交差点の横で建物をスケッチし、芳香を漂わせるパン屋に入り、道を歩きながら口を動かした。
やがて動きの鈍い思考は流れ、去っていった。そしてしだいに、人びとの態度の細かな違い――シクロの微笑みにしろ、バイクの運転の仕方にしろ――が見えてきたような気がした。ぼくはひとまとめにくくっていたのかもしれない。決めつけられたイメージは、せっかくの暖かな笑顔や好意、人間らしささえ、「ベトナム人」という大雑把なフレームの影に隠してしまう。雑然とした町のなかで、窮屈な型に自分を押し込めることなく生活する人びとの表情は活き活きとして見えた。
帰りのバスでは、夕食の買物帰りだろうおばさんが、生きたニワトリをプラスチックの買物かごに入れて座っている。切符係の女性はニャンを口に放り込み、皮とタネを座席の下に投げ捨てている。ぼくはこっくりこっくりと頭を揺らしはじめる。