情けの値段

 アンコール遺跡群は華麗だった。けれど数日まわってわかったのは、ぼくは遺跡の価値を求めてはいないということだ。作られたときからただ朽ち果ててゆくもの、ぼくにとってそれ以上ではない。そんな印象の脇で、それは人びとに生活の手段を脈々と与え、そのまわりには生命力みなぎる草木と子供たちのたくましい姿があった。

 そろそろ雨季入りしたのか、朝の空はどんよりとしていた。朝食をすませて遺跡をまわりはじめる頃、やっと雲間から太陽が照りだす。するとだるさだけが体を支配し、遺跡群は意識のなかで溶けてどれもが同じにみえる。おざなりの巡回のなかで、片言の日本語を発しながらつきまとう物売りの子供たちには、鬱陶しくも惹きつけられる瞬間があった。彼らは遺跡の入口で待ち構えていることもあれば、周囲の森から溶け出るように現れることもあった。
「オニイサーン、コーラネ。ツメタイコーラ」
「Tシャツ、二ドル、二マイ、三ドル。ハガキー、二ドル」

 どれだけ断ってもあきらめない。静かにしてくれよとはじめこそ文句を言いたくなったが、どのみちのんびり見学などさせてくれないのだと途中であきらめた。商品はどこでも同じようなものだ。飲み物、遺跡の解説書のコピー、彫刻の拓本、マフラー、布、ひも編みの筒に入ったフエ……。必要なものもなく、あしらいながらぼくは片言のクメール語をおぼえた。

 ぼくたちは暑気にやられないうちに宿に戻り、食堂で他の旅行者たちと雑談し、洗濯をすませ、部屋で昼寝をした。そして夕暮れ前にまた出かけ、遺跡の高所に座る。ところがその頃になると空はまた厚い雲に覆われてしまう。結局、茜色に染まった美しい空が見られたのは初日だけだ。静かな夕暮れだった。日が沈んでも、地平線を覆う雲やその手前に広がる大地の余映を遺跡の上から見つめた。けれどそこは遺跡のなかではなかった。ただ大きな自然があり、遺跡もぼくもその一部だった。

 日本人アイドル似の女の子がいると訪れた屋台で宵のひとときをなごんでいると、松葉杖をついた物乞いがつぎつぎとやってくる。被雷した男たちだった。まわりが黙してやりすごすなかで、ぼくは心が動かされればポケットの小額を渡した。すると同じテーブルのひとりが「やさしいですねぇ」と感心したように言い、いえ、と否定するぼくをナナさんが軽くたしなめる。
「あげなくていいよー。きりがないから」
「ええ」ぼくはうなずく。
「まさやんは律儀なんだから」
 その口調に皮肉はなかった。実際、きりがないのかもしれない。はじめはためらいなく施与していた者も辟易して態度を硬化させてしまうほど、物乞いは大勢で毎日絶え間なかった。金を出してあたりまえだといわんばかりの倣岸さや、釣り銭でも受け取るような態度も少なくない。だからぼくが同情と慈悲心で善行を為そうなどと考えていたわけではなかった。ただ、目をそらさずに見てやろうと思った。固定観念で今を縛らず、自分のなかにわき起こるものを見据えたかった。

 あるとき、入れ替わりで二人の男が松葉杖をついてやってきた。最初の男に五百リエル札、その後ろからロボットのように手を出した男に少し迷ってポケットの残りの二百リエルを手渡した。すると前の男の額を目敏く捉えた後の男が「なぜだ?」とごねだし、手を強くさしだして「もっとくれ!」と要求した。ぼくは彼を見つめて静かに首を振り、くれくれとやっきになる彼に無反応を返した。
「なんでおれは二百なんだ!」と男は苛立たしげに叫んだ。「前のやつは五百だったろ? おれにも五百くれ!」