バスと歌謡曲と妹

 その朝、停留所まで歩きながら芋をかじるとモリさんは「芋の選択を間違ったわ」と残念がった。露店の焼き芋を見て思いついたとかで、市場で仕入れた芋らしかった。昨晩の風呂の後にふたりで焼いたのだが、浴室のある建屋の入口で従業員が風呂番用の火鉢を置いており、ちょうど焼き芋作りにあつらえむきだった。

 中甸は朝晩はずいぶん冷え込み、そのためか浴室にはこれまでの旅ではじめてお目にかかる浴槽があった。震えながらふとんにもぐっていた麗江で入れたら、ニューメキシコ氏の脚にもきっとよかっただろうにと思った。ただ、石炭ボイラーで湯を沸かすため、つづけて数人入るとパイプがうなって湯が切れる。浴室が二つだけなので入るタイミングも難しかった。昨日のぼくも浅いぬるま湯に寝転ぶように入り、寒くてさっさと出た。どこに行ったのか番役の男はおらず、外気は震えがくるほど冷え込んでいた。火鉢に手をかざすと暖かかった。あたりは空から降りてきた厚い紺色の層に沈みつつあった。炭の火粒が赤く脈を打ち、生を運ぶかのように力強く移動していく。ぼくたちは熱さでちりちりする掌をこすりながら、ときどき硬い音をたててはぜる炭を転がし、芋が焼き上がるのを待った。

 昨晩は結局食べずに朝になって炭殻のなかで暖めなおした芋は、期待に反して水っぽく甘味もなかった。味はともかく、一生の不覚とでもいうようなモリさんの悔しがり方が可笑しかった。

 見送られて乗り込んだ小型バスには肘掛けがなく、きついカーブのたびに狭い座席からすべり落ちそうになる。それでも風通しがよく煙草の煙もましだった。隣の窓側には無精ひげの中国人が座っていたが、話し掛けられることもなく、ぼくは窓の外を一心に見つめた。移動はひとりの方がいい。空は抜けるように青く、移り行く風景のなかでさまざまな思いが浮かんでは消えていく。こうやって外の世界を見るのがぼくは好きだった。あれも二十歳前後の頃のことだ。あまたの揺らぎのなかで確信などひとつも持ち合わせず、今と同じようにじっと外の世界を見つめていた。しかしそんな不安のそばにこそ、訪れるものがあった。それは自由とつながる何ものかで、ぼくはこれまで、その自由と不安定のはざまを揺れながら絶対的なものをつかもうとしてきた。しかし、手を伸ばせば伸ばすほど遠ざかるものがある。

 バスはしばしば売店に立ち寄り、運転手が煙草やガムを買った。新たな乗客が乗り込んできてはまた下車していく。
 車内には中国の歌謡曲が絶え間なく鳴り響いていた。同じカセットテープがリピートされ、乗客たちは曲に合わせて声をあげている。サビだけ高らかに歌い上げる男、静かに口ずさむ女、あるいは手拍子をとったり、指でリズムを刻んでいる。誰もがまわりなど気にせずしたいようにしている様は小気味よかった。それでも延々と同じ曲が繰り返されるのにはうんざりした。メロディが頭にこびりついてはなれなくなる。いったん埋め込まれると、タービンのようにぼくの中で回りつづける。別のものに代替されるまで。あるいは沈黙に浄化されるまで。歌にしろ欲望にしろ同じことだ。そして、音は音のみで存在せず、空白にその深みがある。山の向こうに大きな空があるように。

 渓谷にそびえる山々の純白の雪峰が陽光を強く照り返している。背後の青空から切り抜けたような姿は孤高で威厳に満ちていた。山はただ存在している。求めず、追いかけず、欠乏感に胸かきむしられることなく、幻想に高揚することもなく、存在することで完結している。何より美しかった。

 昼すぎ、枯れた雰囲気の食堂で昼食休憩になった。運転手たちは別室でにぎやかに談笑し、乗客たちがバスに戻ってもしばらく出発しそうになかった。紫煙の充満した車内を避けて外で待っていると、厚着のぼくには汗ばむほどの陽気だ。軒下でポケットに手を突っ込んで立っている男のことが気になっていた。食堂では見かけなかったから食事はとらなかったのだろう。朝に彼が乗車してきたとき、そのグレーのジャケットの脇の縫い目がほつれて大きな穴があいていた。ボロボロの布スニーカーは、小学校か中学校の上履きといってもおかしくなかった。昼飯代がないのか、店では金がかかりすぎるから我慢しているのだろうか。それとも――ぼくは心中で話しかけた――きみは腹が減ってないのか? 

 山肌に雲がくっきりとした影を落としている。旅に来てよかった。実家に送るポストカードの文面になぞらえながら、ぼくは思った。こないだまでなぜ旅に出たのかなどと考えていたのに、今ははっきりとそう思えた。出会ったいろんなもの。人々が暮らし、生きる姿。それは一つの価値観にぼくを向かわせるものではなく、都合のいい結論を導くための材料でもなかった。それならば、旅の意義をあれこれ考える必要はない。目の前の世界は、狭いおりのような観念や思考に縛られたぼくをつねに解放しようとする。生の多様性を育み受け容れる世界の懐の深さを感じさせ、どう生きたってありなんだと気持ちを楽にしてくれた。

 そしてぼくは、窓の外の山々が緑色であるという、そんな当たり前の風景を美しいと感じていた。一本一本の木々が育ち、緑が豊潤に繁っている、そんなことがすばらしく思えた。ベトナムでいっしょだったナオちゃんのことをふと思い出した。彼女はのびやかで、他人から奪い取ろうとする狡猾さがなかった。そんな良さを失ってほしくないと思う。彼女はまだ二十歳前後で、何をやろうとも時間はたっぷりとある。ぼくの歳までだって九年だ。若さとは可能性と同義なのだと思う。そして己のなかのかすかな羨望にふと気づき、前の座席のおっさんとくらべればぼくだってまだ若いんだと思った。いや、年齢じゃない。人は年齢にかかわらず豊かに生きることができる。木々が美しく生きる――老木も若木も――ように。

 旅のなかで、ぼくは自由で、自然だった。何をすべき、どうあるべきに自己を閉じ込めることもない。やりたいことがあればやり、ないならそれでいい。不安定と自由は表裏一体で、それこそが生の本来の姿なのかもしれない。いや、ではなく、実ははっきりとわかっている。絶対的なものを求めて手を伸ばしても、不自由をつかむだけだと。

 上着に穴のあいた男は、斜め後ろの席からペンを貸してくれとぼくの肩をときどき叩き、小さなノートに文字を書き込んでいた。夕方になって大理でいっしょに降りた。その際、どこで降車すればいいのかわからずまごつくぼくに中国語で話しかけてきて、場所を教えてくれたようだった。降りてからも、あっちにホテルがあるというようなことを言ってくれたらしかった。彼はノートに何を書いていたのだろう? たぶん詩のようなものなのではないか。何の根拠もないけれど、あとでぼくはそう思い返した。