過去と現在

 過去、そして現在。カンボジアでは、それらは黒い川のようにつながっている。

 たとえば数千枚はあるだろう肖像写真。それは博物館と名を変えたトゥール・スレン監獄跡の壁にはられていた。ただ記録のために撮られたという人たちの顔には、さまざまな感情が宿っていた。そのとき、彼らはまだここで生きていたのだ。処刑されるまでは――。

 カンボジア全土で一〇〇万人とも一五〇万人ともいわれる殺戮があったのは一九七〇年代後半のことだ。当時の政情にはベトナム戦争が大きく関わっていた。一九七五年にアメリカがベトナムから撤退すると、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)によるポル・ポト政権が誕生。貨幣や資本主義、宗教の一切が否定され、文化が破壊された。知識人や技術者、宗教関係者は財産や地位を剥奪され、集団農場への強制移住と労働の果て、粛清や飢餓の犠牲者となった。

 反革命分子と目された者はここに収容され、尋問・拷問の上で殺害された。囚人だけでなく、看守も処刑された。ここで幼い命を落とした子供たちの写真を見て甦ったのは、八〇年代後半に観た映画「キリングフィールド」のなかで冷酷な看守と化した子供の硬い表情だった。

 もとは高校の校舎だったらしい建屋から屋外に出ると、足をひきずって近寄ってきた男が金をくれと手をさしだした。ぼくが男の義足を示して「どうして?」と訊くと、彼は「ボーン!」と身ぶりをまじえて言った。一瞬、金のために装っているのでは――もしや足の上にプラスチックをはめているだけではないか――と思わせるほど、彼の態度はあっけらかんとして、大根役者の演じるごとく哀調のかけらもない。

 部屋に戻ると、ぼくは昨日からやりかけていたハーフジーンズの裾糸をぜんぶほどいた。パイル地のTシャツの胸に縫われた「favorite」という小さな刺繍文字の意味のなさも気恥ずかしく、ついでにほどこうとしたものの、ばからしくなってやめた。

 プノンペンは、バンコクとはあきらかに空気が違う。ホテル前でたむろするバイタクのドライバーたちの獲物を狙うような目、地元の人びとから感じる何らかの感情のこもった視線、宿泊客の退廃的な空気……。

 とくに少なからぬ宿泊客が、日常感覚を意図せず遺棄してしまったような雰囲気を漂わせていた。酔っぱらった人間が本人は素面しらふを装っているが実は崩れている、そんなふるまいを目にしているかのようだった。ここに来た当初、女性従業員が客と視線を合わせたときの挙動をぼくはいぶかった。濡れたシャワールーム兼トイレに客が入ると、外の土を運んできた靴底は廊下に泥の足跡を作る。それを拭くために彼女たちは床にしゃがんでせっせと雑巾を動かしていた。ぼくが挨拶しようと微笑みかけると、彼女たちは接触を避けるように目をそらす。しかし、置屋に通う宿泊客と彼らが女に這わせる舐めるような視線を見ているうち、腑に落ちた。

 ツールスレーン近くのどぶ川はタールのようなヘドロで覆われ、ひどい異臭を放っていた。この国では、過去と現在のつながりがはっきりと感じられる。ただこのどぶ川のように、過去の凄惨とつながった現在は別のえた臭いを発していた。
 夜の九時すぎ、車やバイクが減ったためか、道路で遊ぶ子供たちのはしゃぎ声が部屋にまでよく聞こえてきた。建物の外壁以外、各部屋はベニヤの薄い壁で仕切られ、廊下に面した壁も天井近くは格子だから、道路からの音もトイレの水音も廊下での会話も何もかも筒抜けだ。

 ぼくが寝ようとしていたとき、どこかの部屋で日本語の会話がはじまった。たぶんまだ会って間もない男と女。大きく響いてくる声をよく聞き取ろうとぼくは扇風機をとめ、耳をそばだてる。そして、自分も参加したいのではないかと気づく。by myself、そう心につぶやき、電気を消してベッドに横たわる。ひとりでいいじゃないか……。しかし、天井を見ながらまだ耳を澄ませている。まったくバカらしい会話だった。表面的で噛み合っていない。それなのにぼくは意識を逸らさない。違う声が混ざり、彼らが二対二なのだとわかる。主にひとりの男とひとりの女が話している。目を閉じていると、ふと、まるで自分がしている会話のように思える。バイ・マイセルフ……。ひとりでいい。そう思いながら、暗闇に届く声をじっと聞いている。

 やがて遠くの部屋で、また中国系の音楽が鳴りはじめる。昨日からどこかでおぼえのあるトーンだと思っていたが、やっと、それが昔のラジオ放送と同じものであることに気づく。ここには、まだラジオに真空管が組み込まれていた時代の空気の感触がある。