狂った人生

 通りのざわめきが波のように伝わってくる。窓のない薄暗い部屋のベッドから手を伸ばし、バックパックの上に置いた腕時計の文字盤を光らせると、ちょうど六時をまわったところだった。昨日話に聞いたバスがまもなく出るはずだが、やっぱり今日行くのはやめておこう。ぼくはそう思いながら再度眠りに落ちた。

 次に目覚めたときは、波ではなく台風が吹き荒れているみたいだった。潮の音も混ざっているように聞こえる。ゆるやかに、けれどしっかりと押し寄せるように、手応えのある波動が伝わってくる。廊下で女の従業員がひそひそと話す声がする。部屋の電灯をつけて確かめると八時すぎで、あれからずいぶん寝た気がしたがまだこんな時刻なのかと少しふしぎだった。往来の騒がしさがそんな感覚を増幅させるのかもしれない。

 シャワーを浴び、洗面台の鏡に映った顔のひげは剃らずにそのままにしておくことにした。紀伊国屋書店の濃緑色の袋に筆記具とミネラルウォーターを入れて部屋を出た。

 地図もなくあちこちを歩いていると、薄ら笑いを浮かべた警官に二カ所で呼び止められた。煙草をくれ、コークが飲みたいなどと要求されたが、煙草は吸わない、金がないと突っぱねた。細い露地には市が立ち、魚の頭、野菜、果物、内蔵といった品々が並び、蝿が飛び交っている。地面に座って商う女の足はびしょ濡れで、その足先に施されたペディキュアが質素な服装と比して意外だった。緊張がほぐれるにつれ、ぼくは昨日とは違う空気を感じはじめた。それは混沌イコール危険として捉えていた感覚の向こうにあるものだった。

 マーケットの出口でTシャツを目にして、買おうかとふと考えた。別によそ行きでもない普段着でさえここでは場違いな気がしていたからだった。しかし今あるものでいいじゃないかと打ち消した。まわりに合わせるためにわざわざ新しく手に入れる必要なんてない。そんなことをすれば、それこそ日本にいたときと同じだ……。
 川のそばの高床式の舞台の日陰に腰をおろした。小さな仏塔の祭壇前では、宗教的な催しらしく何人かが打楽器を演奏している。近寄ってきた小さな男の子は、上半身裸で汚れたパンツをはいているだけだ。隣では、川で赤ん坊の水浴びを終えた家族の食事がはじまった。赤ん坊はTシャツだけ着せられ、下半身は裸で床に寝かされている。家族は飲み物用の氷塊まで用意していたが、砂まみれの床にじかに置いている。彼らはビニール袋に入ったライスを右手で口に運んでいた。

 そんな様子に、ぼくにとって人びとの生活の姿こそ、遺跡よりも何よりも見る価値があると思った。町中での仕草、子供に向ける眼差し、赤ん坊を抱きかかえるときに浮かべる表情、そこには何かがある……。

 部屋に戻ると、ぼくはハーフカットのジーンズを脱いで裾糸をほどきはじめた。日本を出る前に丈を半分に切り、その端を実家の母にわざわざ縫製してもらったけれど、ここではあまりに整いすぎている。ベッドに腰かけ、ミシンのしっかりとした縫い糸をアーミーナイフの刃先に引っ掛けて切りながら、ぼくは昨日空港からここまでのタクシーに同乗した日本人のおっさんのことを思い出していた。

 ここには怪しげな風貌の旅行者が少なくなかったが、おっさんもそのひとりだった。昨夕ホテルの階段ですれ違ったとき、散歩から帰ってきたという彼は「今まで四時間歩きつづけてたんですわ」と言った。スーパーの白いレジ袋に入った荷物を手にさげ、白タオルを首にかけていた。Tシャツの上に半袖の襟付シャツをはおり、首からつるされた財布のひもが背中側にまわってTシャツの中に入っていた。今日昼すぎにまた廊下で出くわし、なんとなく部屋に招きいれたところ、彼がさらっと語りはじめた話に驚かされた。

「まだ若いときにユーラシアを旅しててね、パキスタンで誘拐されたんですわ。もう一五年、二〇年も前の話やけど」
「誘拐ですか?」
「カイバル峠で休憩でバスから降りたときにね、こっちにおいでって子供と父親が手招きして呼んでて。なんかぜんぜん緊張させへん雰囲気やったから、何も思わずに話のついでに車に乗ったら、誘拐やった」
 彼の自嘲的な笑いにつられてぼくも少し笑った。

 彼は拉致グループのアジトらしき場所に監禁され、日本の家族への身代金要求の手紙を書かされた。後で知ったことだが、そこはおそらく部族地区で、今なお警察でさえ力の及ばない、ローカルルールに支配された場所だった。彼は別の換金グループに両替所に連れられ、服の下からピストルを突きつけられながら、所持していたすべてのT/Cトラベラーズチェックを両替する。両替所の相手は薄々気づいていただろうが何も言わなかった。身代金の手紙はなんとか思いとどまらせた。家族が警察の幹部だとか、日本の警察は有能だからかならず犯人は捕らえられるなどと嘘をついて。

 ところが、もはや用無しとなった彼の処置を巡って相手方の意見は分かれた。彼を世話をしていた拉致グループが擁護してくれたものの、換金グループも譲らず、彼の目の前で両者は激しく言い争った。脱出の機は見つからず、下手をすれば即座に殺されかねない状況に気が気ではなかった。もしそうなら別の場所に連行されるのだろうと彼は推測した。そしてあるとき、彼は目隠しをされ、車のトランクに詰め込まれた。車はけっこうな時間、ぐるぐると走っているように思えた。車が停まり、彼は路地に放り出された。

 やっとの思いで日本大使館に駆け込み事情を説明すると、一刻も早く逃げたほうがいいという。別グループが情報漏洩を危惧して後から殺しにくる可能性も考えられた。彼はその日の夜のうちに大使館員といっしょに車で国外に脱出した。

「パキスタンの国境を生きて越えたあのときくらい、生きてることのありがたさっていうか、そんなんを実感したことはなかったですよ」彼は朴訥ぼくとつとした口調で述懐した。

 旅を中断して帰国した後、彼は発展途上国の子供のために毎月定額を寄付することにした。命を奪われなかったことへの感謝の気持ちもあった。その後結婚して子供も生まれ、今までは家族のために一生懸命仕事をしてきた。はや子供も中学生になり、寄付をはじめた当初は小さかった途上国の子供も成長したようだった。彼は、そろそろ好きなことをさせてくれと家族に告げ、今回ひとりでやって来た。海外はあれ以来はじめてだった。彼が取り出した二枚の写真には、幼児と、その子の現在の姿があった。その子に会う目的で旅に来て、対面を果たし、その帰りにここに寄った……。

 ミシンの縫い目をほどくのがこんなにもたいへんだとは思わなかった。作業に疲れ、いつの間にか眠っていた。ノックの音で目がさめ、ドアをあけると誘拐のおっさんが立っていた。
「明日行くことにしましたわ。それを言っとこうと思って」

 狭い部屋のベッドに座り、少し話をした。それは彼のこれまでの生き方の話で、ぼくはただ相槌をうった。サヨクがぼくの人生を狂わせたんですわ、と去り際に彼は薄く笑って言った。ことさら苦々しくも、後悔の色もなく。最初はどことなくうさん臭く感じられた風貌の、その瞳の奥に宿っていたやさしさに気づく。ぼくには見えていなかった……。

 ベッドに寝転がっていると停電になった。どこかの部屋から女の短い悲鳴が響き、その後に訪れた静けさのなか、中国風のメロディがどこかから流れてくる。昨日も聞こえていたその音楽は、電池で鳴っていたのだ。暗闇のなか、ぼくは腕時計に耳をあて、どれくらいつづくか計りはじめた。このまま寝入ってしまったらドラマっぽくなるだろうなどと思いながら。五七秒で電気は戻った。ふっと蝋燭がつくように裸電球が灯り、蛍光灯の点灯管が放電してジーンと鳴る。モーターがブーンとうなり、扇風機がまた生ぬるい空気をかきまぜはじめる。