選択のなさ

 旅に出てまだ十日、日本にいれば、おそらく何も変わらないまま、何も見ることのないままあっけなくすぎさっていくだろう日数。

 日記をつけながら、どうして書いているのかと考えていた。まったく動機のない行為ではない。自己の内面を見つめることもその一つかもしれない。しかし、もっと強い欲求があればこういった毎日の体験は小説にでもなりうるのかもしれないが、ぼくにはそういうものがなかった。外に向かって表現したいという強い欲求がないことにあせり、ときたま自分を追い立ててみたりもするけれど、そんなときにもふと、いったい何のためにと思う。結局、ぼくはいつもそれを求めてきたのだろう。表現したいという強い欲求を手に入れたい、と。欲求を求める――二重の欲求――という心理の底には何があるのだろう。

 今のぼくにたいした動機はない。あるとすればちっぽけな――そう思える――下心だけだ。しかし、動機があったところでそれがいったい何だというのだ? 同じく取るに足らないものに思える。輝きがあるのは動機なくなされる行いだけだ。そんなことを思ってみたところで、次の瞬間にはもう動機を欲している。

 表面的なものではなくもっと深いところにある、動機とも何とも区別のつかない状態をぼくは求めていた。しかし一方で動機を求め、思考が後追いする。動機のない状態を欲するところには、すでに「動機」がしっかりと根づいているのだ。たとえば執着なく生きたい、と思う。執着だろうと嫉妬だろうと貪欲だろうと何だっていい。けれど、それらのない状態を求めることそれ自体が、すでにとらわれているということだった。動機のない状態を求めたところで、動機に縛られたままそこへは行けない。今ここで、現在によって、さまざまな欲望のまとわりついた思考が焼きつくされることがなければ……。

「ストップ! ストーップ!」
 後部シートでぼくが叫ぶと、やっと気づいたオオサカがバイクを停めた。バイクから降りて後方の地面に落ちた帽子をひろい、ぼくはしっかりとかぶりなおした。日本でつきあっていた(相手の認識としてはまだつきあっているのかもしれない)彼女から旅行前に渡されたナイキの帽子だった。青い空には白く鮮やかな雲が浮かび、赤茶けた大地に烈しい光線が照りつけていた。バイクが動き出すと、心地よい風がまた体を包んだ。

 自称オオサカという名のカンボジア人ドライバーのバイクに三人乗りで、キリングフィールドに向かっていた。オオサカのワイシャツの襟元をうしろで見つめながら、ぼくは自分との違いを考えずにはいられなかった。その薄いグレーの長袖シャツの襟元の生地は擦り切れてぼろぼろだった。

 ホテル前で彼のバイタクを拾ったとき、オンナもどうか銃の射撃はどうかと彼は矢継早に勧めた。いらないとぼくたちが答え、往復三ドルで交渉がまとまったあとも、自分は二十六歳でプノンペンから一二〇キロ離れた村の出身だなどと語りつつ、話の合間に同じ誘いを重ねた。それでも彼は理知的な目をしていて頭は悪くなさそうだ。切実さの滲み出た強い目線が印象的だった。いったい彼とぼくとの違いは何なのだろう。一日に数ドルを得るために必死な彼と、さらに値切ろうと交渉する自分。根源的な違いは、ただ生まれた場所だけのことかもしれなかった。

 キリングフィールドにはとりたてて何があるわけでもなかった。大きな窪みと小さな塔以外は、ここまでの道中と同じ風景が広がっている。しかしほんの二十年ほど前、ぼくが小学生だった頃の眼前の光景はそうではなかった。当時のぼくくらいの子供の混じった集団が、大勢の大人と子供を働かせ、処刑し、ときにまだ生きたまま穴に放り込んだのだ。ぼくたちは、そのいくつか――死体が埋められ、人骨が掘り返された場所――のまわりに視線をさまよわせながら、太陽光に灼かれた土の上を歩いた。どうしてこんなことが起こったんだと思うかと問うと、オオサカは険しい顔で首を振った。
「ぼくには答えがない」

 自分の姉もここで死んだのだと彼は言い、写真を撮るよう促した。カメラは持ってないと言うと、地面に転がっていた一本の前歯を拾い、ぼくの掌に落として真剣な表情で言った。
「これを持って帰って、ここに来れない人――あなたのお父さんやお母さん――に伝えて」
 ぼくは彼の目を見てうなずき、手の中の茶色く変色しかけた歯を見つめ、ズボンのポケットにしまった。ただ生まれた場所の違いだけ……。

 供養塔に向かって歩きながら、なぜバイタクの運転手をしてるのかとオオサカに訊ねた。
「選択肢がないから。きつい仕事、望んでない。でも仕事がない」
 ぼくが黙っていると、彼は「オンナ、行きたいか?」とつけくわえた。ぼくが小さく笑って首を横に振ると、さらに「銃を撃ちに行きたいか?」と言う。
「ノー」とぼくはきっぱり首を振った。「銃は好きやないねん」

 彼は、ぼくの反応から距離を置くように口を閉じた。しかし彼のこの落差は何なのだろう。ぼくは内心で苦笑した。おびただしい数のしゃれこうべが雑に積み上げられた供養塔をぼくたちは無言で見上げ、きびすを返した。ぼくはさっきの歯を地面にそっと放った。
 バイクに戻ると、オオサカは茶色い葉がつまった煙草の箱をさしだして言った。
「ハッパどうだ?」

 帰路、オオサカはバイクを走らせながら片言の日本語と英語でもうひとりの男に向かって叫んでいた。
「オンナ、行くか? オンナ、行くなら合計ひとり四ドルでいい。高くても五ドルか一〇ドル。カンボジアガール安い、ベトナムガール少し高い」

 どこにもリアルな光景があふれている。たとえば小さな市を歩くと、そこで商う女のまわりに遊ぶ子供たちの、油の染み込んだボロ布をまとったようないでたち。その計り売りのライチを買った身なりの整った女が、立ち去り際に台からもう一枝を強引にもぎ取っていく姿。

 貧困と混乱、ストリートチルドレン、地雷で脚を失くした人びと、子供をひきつれて物乞いにまわる母親、数百円で売買される性、ノーチョーズ――選ぶことのできない現実、仕事。生まれたときにすでに与えられている者と与えられていない者の歴然とした境遇の差。

 バイクが生鮮市場の横にさしかかる。雑踏は黄色い砂埃でかすんでいる。車、人、バイクが入り乱れる。バイクはスピードを落とし、でこぼこ道に体を上下に揺られながら、ぼくたちは通りすぎる。

 這い上ろうとする者たちや生きていくことに必死な人間がここにはあふれていて、整備や統制されることのない欲望が、さらに混沌とした現実と混乱を生み出している。そのなかでコマーシャリズムの芽はふくらみ、各々の欲望のためにかきたてられていく他の人間の欲望があり、欲望の爆発が延々とつづいていく。この愚かな連続。繰り返されていく愚かさ。

 人殺しだけではない、人間のこの愚かさ……。
 そして、ここにいるぼく。