一瞬の交叉

 カール君はイスラエルでの暮らしについて語った。徴兵され、三年間潜水艦のなかで暮らした。除隊すると彼も兵役の手当で旅に出た。多くの若者がそうであるように。

 視界を遮るものなく平原がひろがり、遠くで山々ににじんでいた。草地のところどころに水たまりや広い池ができ、透んだ水が空の青色や白い雲を映していた。だから言葉はなくてもよかった。けれどカール君は堰を切ったかのように最近読んだ経済書や仕事のことをくしゃべりつづけた。せっかくの無辺の空間がとめどない言葉で埋められていくことにぼくはげんなりして、もう少し向こうまで行かないかという誘いを断り、ひとりで寺院への階段をあがった。

 入口近くの壁に地獄絵がかかっていた。鳥が蛇のしっぽをくわえ、その鳥の尾を獣がくわえている。局部をカナノコで引き抜かれる男たちや、局部を裂かれマグマを注ぎ込まれる女がいた。はたまた女の口から蛇が頭部を出し、局部から尾を出している。獣の頭をした者に金鋸で体を切られ、折りたたまれた体に重しをのせられている。血の川でおぼれ、火あぶりにされ、箱に入れられ、赤い液体のなかで茹でられる人間がおり、冬山らしきところで体があかぎれ、ふくれ、血だらけになっていく者たちがいた。現世の絵には恋愛の場景があり、目を矢で射抜かれる者がいる。酒を飲み、収穫作業をし、船の櫓をこぎ、山を歩く者、うつぶせた女の局部に体ごと入り込む小男がいた。それらは現世と来世として描き分けられているが、本質的には異なる世界ではないのだろう。極楽や地獄はどこか別の世界ではなく、この世界、人間の心のなかにある。人々は苦しみ、喜び、そして死んでいく。喜怒哀楽はこの世界に存在している。現世をなおざりにして表象的に別の世界を思い描くならば、それは虚しいことだ。思考のなかに人はこの世とは別の極楽を形作り、地獄を思い描く。しかしその思考もまたこの世界の一部でしかない。

 ある部屋に入ると、何代目かのリンポチェだという写真が飾られていた。まだ幼い顔立ちで、首には鮮やかな衣がかけられている。ぼくは単純な疑問を抱く。なぜ金色の袈裟が必要なのか。こうやってこんな場所で崇められることを彼はどう思っているのだろう。疑問をもたず受け入れているのか、それとも知らないのだろうか? 世俗的な人間は自身を飾り立て、価値あるものに見せようとする。もしくは本人の意思に関係なく、伝統が彼に聖人らしい権威をまとわせる。しかし、なぜ装飾が必要なのか。本来の宗教はそういうものとは関係がないだろうに。写真では彼の思考や言動はわかりえないが、存在をさもリアルに感じさせる。人が彼を拝むとき、彼の何を理解し、何にひれ伏すのだろう。権威や伝統に? そうすることで恐れや不安から開放されるのだろうか。ぼくには、年若な彼がいわば偉大な存在としてまわりから仕立てあげられているように思えた。

 薄暗い階段を上がると視界が拓け、広場といっていいほどのテラスに出た。広場は低い土壁に囲まれ、その一か所に大きな穴が開いている。穴の向こうにはなだらかに起伏した草地がひろがり、牛やヤクがのんびりと草を食んでいる。ところどころに木が幹をのばし、大地の上を雲影がゆっくり動いていた。

 三人の若い僧侶が現れ、太鼓を叩き法螺貝を吹きはじめた。ぼくがノートをあけると、彼らが無遠慮に覗き込んだ。しばらくしてぼくを見てうなずき、親指を立てて去っていった。壁にもたれ、眼下に広がる風景を眺めると、壁の上部を覆った鉄板は漢字の落書きでいっぱいだ。希望校への入学や能力向上、成功のための願掛けだと単語から推測できた。

 裏手にまわると別の建屋があり、その壁の絵を見ているとひとりの僧侶が「多少銭いくら?」と声をかけてきた。意味不明だったが、視線と仕草からぼくの腕時計の値段を訊いているのだとわかった。警戒しつつ適当な数字をメモ用紙に書くと、僧侶は右手の親指と人差し指と中指をこすりあわせてみせた。くれと言っているのだ。それはこれまでの国々でも金品を要求する仕草として何度も目にしてきた。ぼくが「ティンプードンわからない」と首を振ると僧侶は他にも要求してきたが、理解できない振りをした。中に入ると奥には彫像があり、その前に写真が飾られている。別のリンポチェと何人かの高僧。

 外に出ると、別の僧侶が両手に水の入ったバケツを持ってやってきた。ぼくが手にしたメモ用紙を見て言葉を発したので、ぼくは紙を開いて、「寺」「仏教」と走り書きした。「ブッダ」と言うと彼も「ブッダ」と言い、大きくうなずいた。去りながら彼は振り返り、ぼくを見てまた何か言った。いい顔をしていた。

 裏の道から寺を出ると、山肌を雲影がなめるように移い行き、放牧されたヤクが静止画のように見える。道端にトラクターが停められ、日焼けした男たちが、積み上げた草の横で休憩していた。ボーゥという低い音が響いている。向こうの草原に長い筒を吹く僧侶たちの姿があった。ぼくはその若い三人のそばに行き、腰を下ろした。筒は先の方にいくにつれ太くなっていて、一定の音を出すのも難しそうだ。見ていると、ひとりが写真を撮る真似をした。
「持ってない」とぼくは日本語で返し、首を振った。

「有没有」と別のひとりがまたシャッターを押すマネをし、ぼくのカバンを指さした。そして盛り上がった胸を掌で形作る仕草とともに、下卑た笑い声をあげた。ガールフレンドの写真という意味か、それとも……ヌード? 彼らの笑いのトーンを日本人にあてはめるならヌードの方なのだろうが、しかしこんなところで? 四方には草原がひろがり、遠くに建物と木がぽつり、あとはヤクが草を食む光景だけ。自分の推量をあまりの場違いに思いながらも、後者への否定をとくにこめて、ぼくは「没有」と答えた。彼らがまた長い笛を吹きはじめると、ぼくは立ち上がって挨拶して歩きはじめた。

 丘をのぼり、雑草の生い茂った小径を歩いていくと、草陰から小さな男の子があらわれた。羊を追い立てていたらしく、羊の首の鈴がリンリンと澄んだ音を響かせている。男の子はぼくと目を合わせて「ハロー」と言い、ぼくが「ニーハオ」と答えて道端の草むらに足を踏み入れると、トンボが一斉にぱっと舞い上がって宙を赤く飛び交った。少年はぼくとともに小道をのぼり、石塔のまわりを廻っていたふたりの老女の片方に向かって呼びかけた。

 ぼくは立ったまま、塔の脇に置かれた無数の石盤とそこに刻まれたチベット文字を見た。表面に何匹ものトンボがはりついている。ぼくのそばにたたずむ少年が、中甸の観光会社のパンフをポケットから取り出してつぶやく。ぼくは石塔を見上げた。そして思う。積み上げるものではない。積み上げられるものは何もない。たとえ石盤に聖句を烈しく刻みつけ、神聖な気持ちを築き、願をかけ、意識世界の高みを目指したとしても。煩悩に支配されるのは瞬間的で、そのときそれまで築き上げた万事は音もなく瓦解している。ぼくたちは自分の状態に意識的であるようでいて、実はそうではない。眠りのなかでほとんどの夢を意識できないのと同じように、日常の大方は意識外の反応のなかにある。ただ反応し動いているだけだ。

 老女たちは一周ごとに塔の正面に小石を置いている。少年は座って声を張り上げ歌っていた。ぼくは彼の横に腰を下ろした。彼の服はドロドロに汚れ、ほっぺたにも耳のなかにも垢が黒くこびりついている。冷たい風が吹いていた。彼はときおり老女のところに行って袖元にすり寄っては、また戻ってきて座る。鼻水が唇の上で固まり、靴下をはいていない足首にも垢がこびりついている。戯れにボールペンで体をつつくと、彼はうれしそうな笑い声をあげた。まもなく少年は老女と去っていく。「バイバーイ」と彼が言い、「再見」とぼくは返した。

 塔の上空をとりたちが啼き声をあげながら横切っていく。チベット語が書かれた布が風に揺れている。積み上げられた石盤のあいだを吹き抜ける風の音が響き、太陽が雲に隠れるとその冷たさが肌に凍みた。ぐるっとひと周りして帰る道すがら、遠くからさっきの僧侶たちの吹く筒の音が響いていた。木々に隠れて彼らの姿は見えなかったが、音はくっきりと聞こえてくる。

 帰りの一本道を歩いていると、トラクターが向こうからやって来た。茶色い地肌が剥き出しの崖の横でその男とすれ違った。ぼくと同じくらいか、もう少し若いくらい。すれ違う瞬間、はっきりと何かが交錯する。目を合わせることもない一瞬の交叉に、出会いの火花が散り、彼とぼくを取り巻く空間は一点に凝縮される。次の瞬間、彼は向こう、ぼくはここ。そしてまた時間が流れはじめ、彼は後ろに去っていく。

 草原の清々しい風景のなかを無心で歩いた。草が生え、ところどころに水がたまり、野草の小さな花が風に揺れ、向こうには真っ白な雲と雪を頂いた美しい峰が見える。水たまりではアメンボウが透明な水を蹴り、カエルが水草の上に顔を出し、小魚が水中を泳ぎまわっていた。

 部屋の外の空の下、蜂蜜の空瓶に薪式のボイラーから入れたぬるま湯で顔を洗っていると、カール君がやってきた。いっしょに朝飯に出ると、民家からチーズのようないい匂いが漂ってくる。中国に入ってからチーズを見てないとぼくが言うと、昨日マーケットで食べたという。しかしおいしくないよと彼は顔をしかめた。マーケットに寄って試食してみるとたしかに酸味が強すぎる。農家の自家製らしく、円錐形の塊の表面のところどころがカビか汚れで黒変していた。買うのかいとおばさんが訊くと、カール君は身ぶりでいらないと示して礼を言った。彼の発音はシェーシェではなくスェースェと聞こえる。するとおばさんがにやっと笑いながら「スェースェ」と復唱し、次に横のおばさんとおじさんが順番に口調を真似て、まるで新しい真言マントラの響きでも確かめるように真顔で反芻した。

 強くまっすぐな光が空から射し込んでいた。カール君と別れると、ぼくは広い草原のなかの道を自転車でゆっくりと進んだ。ヤクの首元の鈴がやわらかな音を響かせている。ときおりトラックやジープがあたりの平穏を踏み潰すように現れ、土埃を舞き上げながら通りすぎた。ひとりの少年が長い棒を手にヤクを移動させていた。そばの女の子は姉なのか、透き通るような音色の口笛を吹いている。自転車をこぐのに飽きると、大きめの石に腰かけて休憩した。花蜜を吸う蜂の羽音と小鳥のさえずりが、その輪郭を手でなぞれるように鮮明に聞こえている。バッタが羽ばたき、ときおりヤクが啼き声をあげた。突然の怒声にうしろを振り返ると、おっさんがヤクを追い立てて草叢くさむらから現れ、無言でぼくのすぐ隣に腰をおろした。そしてやがて何も言わずに立ち上がり、去っていった。

 ここの人々の、他人への近づき方の自然さには感心させられる。遠慮も躊躇ちゅうちょもなく、拒絶も許容も気負いも何も発生させずに間合いをつめている。垣根がない。お互い見ず知らずでぼくが外国人であることも一目瞭然だろうに。さっきもヤクの番をしていた男に呼び止められ、彼と子供とのあいだに腰かけた。互いに無言でいても何の気遣いも緊張もなかった。

 ナパハイ湖を一望できる丘にのぼり、道をはずれてごつごつした岩のころがる斜面をおりて途中に座った。雲は多いけれど青空がひろがり、向こうの山々の頂きまでくっきりと見渡せる。緑の濃い山があれば岩肌あらわな禿山があり、形はいろいろだ。湖をはさんだ対岸の山は白い地肌がむき出しで、ダイナマイトで崩された山裾から土砂が削り取られていた。二時間ほど前、轟音とともに遠くの山の斜面に舞い上がった白煙はここだったのだ。トラックを渡すために湖の真ん中に人為的に土が盛られ、大型車がせわしなく往復している。道の左右で水の色が違うのは光の加減か水中の地形のためかと思いきや、実は泥色に濁っているのだった。突然、鋭い爆音が静けさを破り、連続して響き渡った。ダイナマイトだ。ときおり強い風がしばらくの間吹きすぎていく。雲間から太陽が姿をあらわすと、光の流れにそって湖水の色が波立つかのように透明色を帯びていった。風に揺れる湖面がきらめいている。見渡すかぎり人工物は湖の車だけだ。けれどここも失われていくのだろう。

 帰り道、ペダルがやけに重くて、ぼくは息を切らせて必死でこいだ。外観こそマウンテンバイクに似ているものの変速機はなく、性能は町中でよく見かける旧式と同じようなものだろう。ここで一般的なのは日本ではとうの昔に姿を消したごっつい造りのものだ。最初は標高のせいとばかり思っていたものの、あまりの疲弊に自転車をおりた。よく見ると後輪とチェーンステーが接触してブレーキがかかっていた。フレーム自体が歪んでいるらしい。ボルトでリアエンドへ固定されたハブは蹴っても何をしても直らないので、仕方なくまたこぎはじめたものの、重みは余計にひどくなった。ぼくは人でも担ぐように坂をのぼり、へとへとになりながら、富士山の八合目ほどの標高の誰もいない未舗装路を自転車をひきずって歩いた。