記憶――願望と欠乏と貪欲と目標と諸々

 道はあいかわらずだった。車体とともに体は弾み、あらがわずに乗っているほかない。けれど時間だけはたっぷりとあった。ぼくたちはこれまでに観た映画の話をし、印象に残った女優を挙げ、度忘れした男優の名前を時間をかけて思い出した。そして小さい頃に読んだ童話について語り、彼女の絵の話を聞いた。

 それまで、ぼくは自分のことをとりたてて話していなかった。彼女の話を聞いているだけで時間がすぎたし、彼女も訊ねなかった。しかし長いバス旅のなかで空白ができると、はじめて自分の話をした。平凡な会社勤めの話だった。彼女の役に立つとは思えないけれども、なんとなく話してみてもいいかなと思った。

 はじめて会社らしい組織のなかで仕事をはじめたとき、ぼくはまわりの大卒と同じように二十二歳になっていた。新聞の夕刊でその小さな会社の紹介記事を読み、電話番号を調べて連絡したのがきっかけだった。求人はしていないがとりあえず履歴書を送るよう言われ、お手本なしに思いついたことを書いた手紙を同封すると、運良く別の関連会社で採用された。じつはその関連会社こそが本業で、新聞にのっていたのは新たにスタートしたばかりで売上がほとんどない新会社だったのだ。

 ぼくの仕事は営業で、はじめての土地ではじめてひとり暮らしをした。数日間の社長のかばん持ちからはじまって、先輩の既存客先に同行、つぎにひとりで飛び込みでの名刺集め。しかし、法人相手の新規開拓は社会経験の乏しい若造にたやすくはなかった。どうしたら契約が取れるかわからないまま数ヶ月がたち、しびれをきらした社長に見込み違いだったと嘆かれた。社長は人間的に暖かい人だったが、会社を拡大する強い意思を持っていた。小企業の経営に余裕などないという態度で、会議などでの詰め方は仮借なく、あとに入ってきた同年代の新卒たちは次々とやめていった。それでも、学歴も経験もない自分には後がなかった。これができなければ他に何をしても同じだろう。自分を拾ってくれた恩にも報いたかったし、必死でやるしかないとすべてを懸けた。

 断られるばかりの毎日に打ちひしがれながら、本をむさぼり読み、仮説を積み上げ、いろんな方策を試した。半年くらいするとまぐれ当たりが出はじめた。そしてぼくははじめて目標を達成した。翌月には、目の前にゼロクリアされた次の目標が現れる。ぼくは目標に追われないよう、自然と自らに高いハードルを課した。毎月表彰され、傍目には順調に見えたかもしれない。目標達成は当然のようになり、同世代の部下ができた。けれど地に足の着いた実感はなく、小さな安堵は次の不安の影にすぎない。ぼくは自らの貪欲さに鞭を打ち、高い目標を掲げて走りつづけた。

 移り行く車窓には濃い緑があった。窓から吹き込む、土埃の混じった風を受けながら外の光景を見つめていると、語っている今の自分の姿も語られる過去の自分も、ひどく浅はかに感じられる。これもまた自己装飾でしかない気がした。話はしりすぼみになり、それからのことは話さなかった。

 当時のぼくにとっては、強い不安と恐怖に裏打ちされたわずかな達成感と自己肯定感のみが行動原理だった。前に進むには、不安や恐怖から目を逸らしてくれる、より大きな欠乏が必要だった。それが、他人から与えられたものではない目標と意義を形作り、行動をドライブさせる。それゆえ、ぼくは満足を求めながら、不満足を自らに強いた。しかし、やがてその意味に対峙せざるをえなくなった。どれだけ達成してもたちまち遠のくゴールに、この手でつかもうとしたものが何だったのかおぼつかなくなる。こんなことの繰り返しが、自分をどこか幸せな世界に運んでいくのだろうか? いつしかそれは、終わりのない苦行にしか感じられなくなった。

 そのときぼくは二十代前半で、部下五人と数億の売上やら利益への責任を支えるので精一杯だった。自分を大きく前進させてきた思考は、やりがいやまわりの人々への感謝も同時に駆逐していた。新しい支店を任せたいと嘱望しょくぼうされても、さらなる重荷にしか感じられない。理想に向かって走りつづけてきたけれど、それらはほんとうに自分のものだったのか、それとも走るためにやむを得ず思い描いただけだったのだろうか。その結果としての自分は、どこにたどりついたのだろう。解せなかった。強く求め、努力し、何かを得てきたはずだ。それなのに満たされることなく、飢餓感と欠乏ばかりおぼえる。現在はつねに未来に従属し、歩くほど距離が意識され、求めるほど遠ざかった。やがてぼくははっきり認識した。必達すべきものとして課してきた目標の積み重ねは、これからの道標にはなりえないのだと。

 入社して三年になろうとしていた。ぼくはひそかに引き継ぎを準備し、ボーナス前の退職を願い出た。結局、それまでの三十六ヶ月に渡って目標の全項目を意地のように達成し、そこを去った。引き留めてくれた社長には気持ちを素直に打ち明けられなかった。直截な告白が自分自身だけでなく社長を否定してしまう気がしたのだ。何もないぼくを受け容れ支えてくれたその会社の、厳しくともときに家庭的な雰囲気が嫌いなわけではなかった。退職理由が見つからず、ぼくは小説を書くと口走って退社した。それまで何か書いていたわけでも、描きたいものがあるわけでもなく、単なる新たな口実なのか、自分でもあいまいだった。

 どうしようもない悪路がつづいていた。バスの激しい揺れに乗客も座席の上を跳ね、ぼくたちは遊園地の乗り物のように身を任せ、楽しんだ。天井と髪の毛が触れたよ、とぼくは笑った。

 彼女に話したことも話さなかったことも、もはや過去の記憶にすぎなかった。流れゆく美しい風景を見ながら、やはりもういいじゃないかと思えた。大切なことは、記憶から思考を組み立てることでも、自我を飾ることでもなく、今だ。今と向き合い、感じ、見つめ、動く。だから過去なんてすぎさっていく車窓と同じだ……。

 通路側に座っていた彼女は、車体がバウンドするたびに体を宙に浮かせながら、はずみで通路にずり落ちないように前の座席をつかんでいる。ぼくは彼女の手を取り、肩に腕をまわして体を支えた。黙って座っているだけで、ぼくたちは何かに包まれていた。湧き出すような至福があった。ふと横を向くと、彼女もやさしい表情をしていた。ぼくは彼女の髪にそっと口づけをした。彼女は一瞬驚いたような顔をした。もう一度ぼくが髪に唇をつけると、彼女は心地よさそうに目を閉じた。ぼくはまた、今度は額にキスをした。次は頬に。「わたしもしていい?」という言葉にぼくがうなずくと、彼女はぼくに同じように何度かキスをした。

 夕方、バスは臨滄のターミナルについた。併設の交通旅社では本来なら外国人は宿泊できないはずだが、珍しく英語の流暢な女性マネージャーはそれに触れなかった。駄目だと言われても、他に泊まるところはなどなさそうな小さな町だった。部屋はますます質素で、土埃で髪も皮膚もざらざらだったが宿に浴室はない。ぼくたちは石炭ボイラーから湯を金盥かなだらいに入れて運び、そばの、今はもう誰も使っていないらしい灯もない小屋で交代で汚れを流した。他の中国人たちも顔を洗い、濡れタオルで体をふいていた。宿の前の飯屋で晩飯をすませると、月明かりの下で長い散歩をした。古民家の建ち並ぶ小道には外灯はなく、明るい月光が地面の土を白く照らし出していた。

 翌早朝、ぼくたちは水とクッキーの袋を手にバスに乗り込んだ。空はくっきりと晴れ、山間の自然は美しかった。つづら折りをのぼる途上で振り向くと、眼下にひろがる棚田にぼくたちは言葉もなく見とれた。それだけに、都市部の汚さと破壊がますます顕著に思えた。

 バスが辺境検査站に停車すると、威圧的な男たちが乗り込んできた。乗客に身分証や越境許可証を提示させ、荷物をあけろと顎で指示している。チェックが済むと外に出ろと高圧的に命じた。ぼくのパスポートを見ながら「ヨシヨシ!」と日本語で言い、意味のわからないニタニタ笑いを浮かべている。はらはらさせられたのは横の彼女の挙動だった。目の前に係官が来てからやっとのろのろとパスポートを取り出し、一言二言交わす口調もいつもより間延びしている。意図がわからず、相手によっては怒らせかねないとぼくがあとで指摘すると、彼女は何を言っているのかわからないという顔をした。外に出ると、そこはのどかな田舎だった。屋根のないトイレでは大便用の穴に太陽光が射し込み、無数のうじ虫が白い肌を照らされてうごめいていた。

 バスはなぜか河原を走ったり、故障なのか理由も告げられず停車することも度々だった。日没後、やっとどこかの町に到着したものの、目的地のモンハイ(<孟力>海)ではないようだ。現在地が不明のまま、ぼくたちは車中で知り合った中国人四人にうながされてバスターミナルの宿泊所にチェックインし、誘われて夕食を共にした。彼ら曰く、たぶん瀾滄という町ではないかと言うものの、まるで気にしていない様子だ。彼らはバスの車内に蓋つきポリバケツを持ち込み、たくさんのフルーツや菓子を入れていた。他の乗客と違って表情がなごやかで余裕があり、服装もこざっぱりしていて、一風変わった雰囲気の四人組だった。話をすると、彼らは同じ村出身の二組のカップルで、いっしょに新婚旅行中なのだという。だから先を急ぐわけではないらしい。片方はひとまわり以上の年齢差があるらしかったが、どちらもお似合いのカップルに見えた。ぼくたちの部屋はその年齢差カップルの部屋の奥――入口が同じで二間続きの奥の方――にあった。昨日と同じように湯を浴びて戻り、ドアをあけると、目の前の二段ベッドの下段でふとんにくるまって抱き合う二人の姿があった。お互いに驚いて顔を見合わせると、男がうなずきながら通ってと示し、ぼくもうなずき返して自分たちの部屋に入った。

 翌朝、外が薄暗いうちにバスは出発し、昼すぎに<孟力>海(モンハイ)に到着した。昨晩のお返しにカップルたちを誘い、小さな食堂に入った。彼らはぼくたちが宿をまだ決めていないと知り、自分たちの予定する宿にしたらと勧めてくれた。しかし、店を出て訪ねてみると外国人は宿泊できないらしい。ぼくたちは礼を言って別れを告げた。

 宿に荷物を置いて市場を散策すると、飯屋の店先に動物の髑髏しゃれこうべが置かれていたりする。ぼくは、商品が埃をかぶった暗い雑貨店の片隅に織り紐を見つけ、買い求めて彼女の手首に結んだ。露店を歩き見ていると、突然彼女があっと声をあげた。足先から血が流れている。サイズの大きなぼくのぞうりを履いていたので、落ちていたガラスの破片に足の指先が触れたらしかった。流血の激しさにあわててバイタクで宿に帰り、消毒液で処置した。幸い傷は浅く、ほどなく出血は止まった。

 彼女と長くいることで不都合が起こりはじめていた。屋外ではまだしも、宿に戻ってからが問題だった。部屋でふたりきりになると、ぼくたちはキスをした。顔をはなしても彼女はまた求めてきて、まるで何かを探求するかのように何度も、長くつづいた。それは彼女らしいといえば彼女らしかった。しかし限度を超えると、ぼくには拷問のような時間だった。彼女はキスだけを求め、それ以上は許そうとしない。アルコールと同様、これまで自分でも奇妙なほど、それなしでも問題なくやってこれた。しかし現況の理不尽さはかなりのもので、男の生理を説明してみても彼女にはピンとこないらしい。どうしたら解決するのかと彼女はぼくに訊ねた。先に進むことだとぼくが遠慮がちに答えると、「それはだめ」と彼女はきっぱりと首を横に振った。しかしそう言っておいて、しばらくするとまた彼女は求めてくる。そんなことを繰り返していると局部が猛烈に痛くなった。鵜飼はこんな感じなんだろうなと思う。ぼくはその状態を持て余したが、それでも今にかられて行動してしまえば、彼女を損ねてしまう気がした。彼女の気持ちをないがしろにしたくもなかった。だから我慢した。彼女が自然に花開くのを待とう、それができるだろうかと自分に問いかけながら。