医大生と黄色いアオザイ

 その女の子は、旅行者が見知らぬ町角のオープンカフェに腰をおろすように、遠慮がちな仕草でぼくの前の空いた椅子に座った。バックパッカーという雰囲気ではなく、どちらかというと仕事着に近い私服といった装いだった。しかしここはシェイク屋の外の古びたテーブルで、ジーンズにTシャツ姿が多いこの通りでは彼女の整った服装は珍しかった。

 旅行かと訊ねると彼女はうなずき、自分は医大の学生で、約一か月ベトナムとマレーシアをまわって日本に帰る予定なのだと丁寧な口調で答えた。いつもはパックツアーだが今回はそうではない初めての海外旅行で、だから親が心配して週に二回はFAXするよう言われたのだという。しかし、一度目と二度目は送ったものの、その後はまだなのだと彼女は笑った。医大だったら勉強がたいへんだろうと言うと、試験前はまとめて勉強する必要があるが大丈夫だと彼女は答えた。ただ、学校の先生には教科書を持って行って勉強しなさいと言われたという。でも結局持ってこなかった。医学書は分厚いし重いから。ふだんは遊ばずにバイトばかりしているのでまわりからバイトの鬼と呼ばれ、たまの旅行が彼女の唯一の楽しみだった。けれど生活費や授業料は親持ちで、かなり負担をかけているので申し訳ないと思う、と彼女は言った。

 チョロンで三一ドルでアオザイを作ったと彼女が話すと、隣で聞き耳を立てていたバイタクの若い男二人がそれは高いと口を揃えた。「普通は二〇ドルくらいだよ。シルクじゃないならもっと安い」

 彼女は、知り合いの男性といっしょに来て部屋をシェアしているらしかった。彼が前回のベトナム旅行時に知り合ったシクロに今回もたのみ、今日もアオザイを取りに行くという。その男性は彼氏ではなく、後日女友達がひとり合流するので三人で泊まれるホテルを探さなければならないと彼女は言った。メンバーは知り合いのつてでさがし、出発一週間前にようやく決まったらしい。
「よっぽど旅行が好きなんですね」
「はい。でも、わたしが旅行に来たのは逃避なんです」
「逃避?」ぼくは思わず訊き返した。

 そんなことをはっきりと口にする大学生は珍しく思えた。今までの彼氏は年上だったんじゃないかとヤマちゃんが問うと彼女は首を縦に振った。学生とはつきあったことがないという彼女の態度は落ち着いていたし、実年齢よりも上に見られるだろう。しかし、どこかお嬢さん育ちのような、世間知らずな雰囲気が漂っていた。おっとりしているのか、シクロも料金後払いという話を詰めずに信じきっており、アオザイもシクロから紹介された遠いチョロンの店までわざわざ足を運んだうえ五割増しの代金を払わされている。いいカモになっているのだろう。

 数日後、待ち合わせたシェイク屋の前に、彼女――ウエノさん――はチョロンであつらえたというアオザイで現れた。朝日を浴びた黄色いシルクのドレスと彼女のスタイルの良さは人目を引くに十分だった。ぼくたちが表通りに出ると、すれ違うベトナム人ははっとした顔で振り返って彼女をじっと見つめた。ぼくたちはどこへともなく歩き、教会の敷地に入った。礼拝は行われておらず、建物の扉は閉まっている。ぼくは通りに出てジュースを買い、中庭のベンチに戻った。いつもの屋台のバインミーを食べながら、ぼくたちは話をした。

 大学の勉強の方はまあまあ順調です、と彼女は言った。しかしそれ以外ではあまりぱっとしないらしい。学校は勉強するためだけの場所で、面白い人間はいない。同級生は男ばかりだが、彼女にとって医大生の男たちは少々物足りない存在だった。いい車も持っているし、卒業したら実家の医院を継ぐような学生も多い。デートしても食事しても、彼らはあたりまえのようにお金を出してくれるし、時には高価なプレゼントもくれる。それでも彼らはわざわざ医大生の自分と結婚しようとは思わないだろう。たとえ自分とつきあって将来を考えたとしても、結婚すれば家庭に入ってもらうというような思考しかないだろう。そういう彼らには惹かれるものがないと彼女は語った。

 昨日、彼女とその友人と散歩し、フォーを食べ、コーヒーを飲んだ。彼女が知り合いの男性と部屋をシェアしていると言っていたのは警戒心ゆえの方便で、実は彼女の友人の友人という女性だった。ちょうどぼくとヤマちゃんはそろそろ別れて旅をしようと決め、彼女たちともそこでお別れのはずだった。ところがヤマちゃんの彼女が急遽来越すると決まり、また滞在をのばすことになったのだ。

 彼女と話していて気になったのは、その整いすぎた発言だった。誰もがなるほどと肯かざるを得ないような、ケチのつけようのない形をしている。まるで就職試験の模範解答みたいで、そのうち自分が面接官にでもなって話しているような気分になった。それでも、同級生について語るときだけは生の感情があらわれていた。「親の脛をかじって遊んでばかり」で「親の跡を継ぐだけ」と彼女は表現した。そんな同級生の存在が、彼女の確固たる座標軸となっているかのようだった。彼らは安易に流されて――だらしなく――生きているけれど、自分は違うと彼女は自負していた。彼女は自分が親に経済的負担をかけていることを気にかけており、そういう意味ではまっとうな女の子だった。ただ、まっとうすぎる気配にぼくはふと疑問を感じ、ボレーを打ちあげてみた。
「たとえば立場が替わったらどうなんですかね? ウエノさんがもし医者の子供だったとしたら」
「わたしはそんなふうにはなりません」
 彼女はぴしゃりとスマッシュを打ちこむように言った。
「ぜったいに?」
「はい」

 その固定的な立場と見方こそが、自己を発奮させるエネルギーの源なのかもしれない。だけど別の視点もあるんじゃないか。実際にはそうならなくとも可能性としては考えられるのではないか。ぼくが控え目に口にすると、そんなことはないと彼女はきっぱりと答えた。その視線と口調には、病とともに生きる人間への理解や自身の弱さについての自覚はないようだった。ぼくは彼女の他者にたいする共感について薄い懐疑を抱いた。彼女は患者に寄り添うことができるのだろうか、と。けれどそれは時をおかずに蒸発してしまった。

 透明だった朝の光が熱を帯びはじめていた。帰りに彼女はぼくが払った食べ物の代金をさしだした。