ノーマネーの意味 ホイアン

 ホイアンに着いた翌日、日本人の古い墓があるというので、自転車を借りて出かけた。

 途中でふたりの少年が声をかけてきて、身ぶりで日本人が地面の下で眠っているところかと訊く。うなずくと「ガイド! ガイド!」と案内する仕草をするので、たぶん金を取る気だろうとピンときて、ひとりで行くからと断った。

「ノー・マネー、ノー・マネー!」
「いらんって」
「ノー・マネー、オーケー!」

 彼らは自転車にまたがって先を走りはじめた。ノー・マネーなんて観光客の言葉だ。嫌な予感を抱きつつ、後ろをついていく形になった。

 田んぼでは稲刈りの最中で、束ねた稲穂を男と女たちが運んでいる。農道にぽつんと一つ、傾いた墓碑が残っていた。墓銘はうすれ、ほとんど読みとれない。しかし日本人であることはわかった。朱印船貿易の盛んだった江戸時代、多くの人がここに移り住んだという。墓石の穴を指して「バンバン!」と子供が言った。弾痕だと言いたいらしい。
「わかってんねん。いいから、ほっといてくれよ」

 ベトナム戦争の痕跡はとりたてて目新しくはない。しかし男児ふたりはベトナム語でしきりに話しかけてきて、帰れといっても去ろうとしない。溜め息をつき、時間を改めようと道を引き返した。案の定、ふたりは後ろからついてきて、商店の前で自転車を停めて「ジュース、オーケー?」と叫んだ。ぼくの「ノー!」という返答にきょとんとした顔をするふたりに、ぼくは再度ノーと宣言した。子供とはいえ腹立たしく、無視して去るのは容易だがきちんと言っておいたほうがいい。しかし彼らにわかるようにどう説明したらいいんだ? そうこうする間にふたりは商店のショーケースからジュースのボトルを手に取ろうとしている。ぼくは彼らを見据え、身ぶりを交えてきっぱりと言った。

「君らはノーマネーって言ったやろ?」
「ガイド! ガイド!」と彼らは口々に声を張り上げた。「ジュース! ジュース!」
「おまえらはガイドやない!」
 商店のおっさんが、どうするんだという顔で見守っている。
「君らはよくない」ぼくは厳として言った。「ジュースはマネー、ノーマネーはノージュース」

 彼らは当惑顔でぼくを見ている。たぶん彼らは理解できないだろう。それともノーマネーなどただ口からのでまかせで、わかっているのかもしれない。とにかく、彼らはいっぱしのガイド気取りでこれからもジュースをふんだくりつづけるに違いない。かといってこのまま放って立ち去る思い切りもなかった。ぼくは一本分の代金を店のおっさんに払い、すでに椅子に座って動こうとしないふたりの前にボトルを置くと、これを分けろと示してその場をあとにした。

 アイスキャンディー片手に、ぼくは竹組みの渡し橋の上にたたずみ、川の流れを眺めた。日ざしの強さも風がその印象をやわらげている。菅笠ノンをかぶり天秤棒をかついだ女性と老女が渡し船の乗り場に歩いていく。若者四人が自転車二台でにぎやかにやってきて、服を脱いでブリーフ一枚で川に入っていった。水が冷たいらしく、彼らは大声をあげながら風呂につかるようにそっと川に体を沈める。少し離れた場所でアヒルが群れて泳いでいる。

 カネでないものを求めながら、ぼくはカネにしばられ、いつまでもその重力の圏内を逃れ得ない。さっきのガキたちのことを思い返した。悪意がないのはわかっていたものの、先が予想できていただけに気分は良くなかった。おそらく当初は他意のなかった道案内に誰かが金で報いたのだ。これまで自分もそうしてきたように。自転車に乗るほどの、特段貧しくもないガキたちは同じ期待を描き、ガイドの真似事をするようになったのだろう。

 昨晩の若い男もそうだ。宿を探して暗い通りを歩いていたとき、自転車に乗って無言で横をついてきた男がいた。小さなママチャリの後部座席にわざわざ座り、つっかけでぎこちなくペダルをこいでいる。無視していると、唐突にベトナム語で話しかけてきた。ベラベラとしゃべり、最後に「OK?」と畳みかける。それを数回繰り返した。英語はまったく通じない。どうやらホテルに案内しようとしているらしかったが、いらないと突っぱねても去らなかった。そして自分が案内したかのようにホテルのおっさんと話をはじめ、気がつくとふたりはもみ合っていた。腹の出たおっさんよりよほど若いのに男はあっさり腕をねじり上げられ、その姿が哀れで思わず割って入った。彼がぼくらを連れてきたのだと言うと、ホテルのおっさんは不承不承という顔でポケットの札から一万ドンを抜いて投げつけた。男は地面に落ちた紙幣をさっと拾うと、目も合わせず無言で自転車にまたがった。そして自転車をこぎだそうとしてふらつき、通りを勢いよく突っ走ってきたバイクと危うく衝突しそうになったが、何事もなかったようにふらふらと去っていった。

 ドミの客は自分だけだった。だだっ広い八人部屋をひとりで占有し、ベッドに寝転びながら考えていた。ベトナムビザの取得時に記入した出国地点は形式上のもので、実際はどこからでも構わないらしい。ここまで北上したからには、中国に入るルートが取りやすかった。しかし、消去法的に残った中国に格別な興味があるわけではなく、これまで出会った旅行者の評判も、ひとりを除いて好意的なものはなかった。

 外にたいする興味がふくれないなかで、いったい何をしているのだろうとぼくは自問していた。ひとりでいるが、自分を見つめることなく堕している気がした。ことカネに関して。当初は旅の重要な要素ではなく、留意していたのは、頼りすぎないようにしようということだけだった。カネで得られる安易さや華美に足をとられないように、と。だから、今となってはどうして引っかかったのかわからない詐欺でいくらかを失ったときも金額自体に執着は乏しく、その際の自分の状態こそぼくの直視したことだった。ところが近頃は型にはまった思考にとらわれている。安い、高い、ぼられた……。まわりのバックパッカーたちが口にするように、比較の容易なところに意識は向かいがちで、今や自分を強く縛っているのはそれだけのようにも思える。日本での日常を離れて精神的な自由を得、既成の束縛を解かれていくような感覚のなかで、カネにたいするふるまいだけがもとのままで、もしくは部分的に突出し、それらは自己が堕ちていくような感覚とともに、少しずつ別の葛藤を生み出していた。

 昼にホテルで自転車を借りたときのことだ。宿泊料と同じく前金払いのはずだが、係の男は手続きが終わったように離れていって別のことをやりはじめた。請求し忘れたらしい。一瞬、ぼくはしてやったりとその場をやりすごしかけた。思い直して声をかけると、男はそうだったという顔で代金を受け取った。そんな些細なことが、苦い記憶となって残った。

 ぼくはぼんやりと思い返した。この国の人々の、外国人へのあたりまえのような二重価格や、可能なかぎりぼってやろうという商魂に張り合っているのか、それとも惰性のような毎日で何かを失ってしまったのか……。しかし、考えるまでもなかった。自分のなかに深く根ざした貪欲が浮かび上がっただけのことだ。何かを失くしたわけではない。ただ、いうなれば今のぼくは相対のなかの結果を求めていた。売買のなかでの勝った????はその呼び水で、そこから次々とつながり出るものがある。他人から評価されうる結果や経験、安心や安定、金、そして目的……。それらはことごとく、比較へと流れ込んでいく。今ぼくが求める目的も結果も、ぼくを貪欲へと導くだけなのに。

 天井で回転しているファンを見つめながら、なぜ面白くないのか、よくわかっていた。人だ。今の自分は、ただ深く、無心で触れあえる関係を求めているのだ。計れない、比較できないものを。どこへ導かれるかはわからずに。