蓮の花 フエ

 どこかで柱時計の時報が響いていた。浅い夢のなかで、無意識にカウントする。一、二、三、四、五、六……。六時? 途中から数えたのだろうと目をあけて腕時計を見ると六時だった。ぼくは、昨日同じバスに乗り合わせた大学生と新市街のホテルのツインをシェアしていた。

 昼前に落ち合ってホテルをチェックアウトした。昨日のチェックイン時に、予約があるため連泊は無理だと告げられていたためだ。ところが、昨日予約しておいた隣のホテルに赴いたところ、フロントの男がもうその部屋はないと言う。従業員と約束したのにと訊ねると、それは約束しただけだと言い放った。約束は約束で(JUST)も何もないと抗議しても、個人的な約束でおれは知らないと耳を傾ける素振りもなかった。道理の通じない相手にまくしたてたところで徒労以外のなにものでもないと、気持ちを切り替えて外に出た。

 シクロのおっさんに教えられたドンバ市場近くのホテルは、昨日より一ドル安かったが段違いに貧相な場所だった。昨日はホットシャワーとトイレ付きの広くきれな部屋だったが、こんどは共同の水シャワーとトイレで、しかも相当汚い。同程度の料金でも、土地によって、または経営者によって設備も清潔さも雲泥の差だ。

 すれ違いはコムの露店につづいた。前もって値段を訊くと三千ドンだったのが、おかずを選び終えると六千だという。横で食事していた人が彼女にかわって「それは六千だよ」と口添えた。納得のいかないままスプーンを口に運びつつまわりの人の皿を見ると、そこには一品の惣菜しかのっておらず、ぼくたちだけが三品を選んでいたと気づいた。頭から相手の問題と決めつけていたことが恥ずかしかった。

 値段の見極めは難しかった。定価や標準価格という考え方は、外国人向けのもともと割高な店を除いて例外的だ。鉄道チケットでさえ外国人はベトナム人の倍で、しかもドルを使うと理不尽な両替レートで計算される。一般の店には正札しょうふだがなく提示料金に差があり、交渉によっても違うから必然的に値段のやりとりは上達した。ただ、毎回の折衝となると疲れもたまり、モノの価値を考えさせられる。ほしければ買えばよく、高い安いなんてその度合いとの天秤だと割り切っても、もっと安く買えたとあとで知り、外国人ゆえに足元を見られたのだと認識させられるのもしゃくだった。

 昨晩、レストランに入り、ビールを飲みながら魚料理や蒸しエビを食べたとき、うっかり値段を確認せずにオーダーしてしまった。想定を大きく超えた料金に、仕方ない、外国人料金だろうと慰め合っても、もやもやした気分がおりのようにたまっていく。旅行者とみるや二倍三倍とふっかける貪婪どんらんさに接するうちについ疑心暗鬼になり、少し高く感じると外国人料金だなどと邪推する癖がついた。かといって、いつも騙されているような前提でいると昼間の露店でのように足を掬われる。

 それでも悪いことばかりでもなかった。朝、ドンバ市場の外の露店でフルーツの乾燥菓子を買って立ち去りかけたときのことだ。後ろからぼくの肩を叩き、ぼくが二千ドン払ったものを「これは千よ」と教えてくれた女性がいた。ぼくのヒップバッグを示して、掏摸すりにあわないよう気をつけなさいと注意までしてくれた。バッグにはノートしか入れておらず、菓子の料金もいつものことで腹も立たないけれど、そんな忠告をくれたベトナム人ははじめてでうれしかった。

 フエはかつてベトナム最後の王朝の都だった。往時を偲ばせる王宮跡の周辺は、建ち並ぶ民家と豊かな自然のバランスが取れていた。田んぼ横の道路には藁が干され、夕方になってそれらをかき集める中年女性のそばで子供が遊んでいる。子供たちは物珍しげな視線をぼくに投げかけ、あっちの方を向いて「ハロー」と言いながら、自分の言葉に面白がって笑い声をあげる。路上で女が立ったまま小さな女の子を抱えておしっこをさせていて、地面で飛沫しぶきが勢いよく飛び散っている。そんな時間の流れに合わせるように、ぼくはのんびりと自転車をこいだ。

 旧市街を囲む街壁跡の向こうに、冷凍用ストッカーを軒先に置いた小さな売店があった。そこにいた少女と目が合い、ぼくは自転車を降りた。少女はなかなか商売上手で、千ドンくらいだろうものを指二つ立てて「二千」だと言う。店から出てきたお姉さんらしき女性に訊きなおすと千ドンで、やったなオマエ、とぼくは笑って少女を見た。店先に椅子を出してもらって手作りの冷甘菓子とアイス菓子を食べていると、近所の人々がさかんに話しかけてくる。お姉さんらしき人は少女のお母さんなのかもしれず、歳は三十八らしいのに二十代前半にしか見えない。ベトナムの女性は化粧っ気がないのにきれいな人が多く、わけても、飾りたてられていない、生活のなかに溶け込んだ所作は美しさを引き立たせる。少女がコップにくんできてくれた冷水には小さなゴミらしきものがたくさん浮かんでいて、さすがに二口ほど飲んで残りで手を洗った。少女の弟なのか、まだ幼い男の子は人懐っこく、しきりにじゃれついてくる。体中どろまみれで手にも黒い垢がびっしりとこびりついていて、アイス作りを手伝っていないことを願うばかりだ。横に座ったおっさんが日本に連れて帰ってやってという仕草をするので、ぼくは四歳だというその男の子を自転車の後ろに乗せ、皆に「じゃあね」と手を振った。五十メートルほど走らせても男の子は動じず、うれしそうに笑っていた。

 街壁跡にあがって向こうを一望し、ぼくは息をのんだ。堀の水面を蓮が埋めつくし、紫の花が咲いていた。遠くからは、紫の花の部分に次元の違う穴があいているかのように、明るく浮き上がっているようで、しかし薄く沈み込んでいるようでもある。若葉色の葉の向こうに赤茶けた煉瓦の橋が架かり、濃緑の樹々が茂っている。その上には薄い青空がひろがり、純白の雲が浮かんでいた。幻影ではなく、ここにたしかに存在しているのだ。そう知覚した瞬間、時の流れは失速していた。細く息をとめたぼくは、風景の一部になった。すげ笠をかぶった女性が長い竿を手に小舟をこぎ、堀のなかをゆっくりと進んでくる。舟の向こうのアーチ型の煉瓦橋の上を人影が動いている。ずいぶんと長くぼくはその場にたたずみ、その情景に見入っていた。

 阮朝王宮の堀では人々が釣りをしていて、ぼくも中に入り、彼らのそばで水面のうきを眺めた。魚篭びくのなかで小さな魚が泳いでいる。広場では、少年達が声を張り上げてサッカーボールを追いかけている。皇帝の墓とやらは見れずじまいだった。けれど心残りはなく、王宮跡だとか建物だとかよりこうやって生きた人々を見ているほうが今のぼくにはよほど楽しかった。

 夕方の川辺に腰をおろすと、フーン川の流れはたおやかでやさしかった。悠揚とした時間が流れ、目の前の風景は大きく豊かだ。活き活きとして、生命の魅力があふれ出ている。すべてが生きているんだ、とぼくは思った。眼前で無数のトンボが飛び交い、暮色に溶けるように行き交う舟影が美しかった。家族で漁をしているのか、小さな舟に子供と両親とおぼしき男女が乗っている。しばし見とれていると、思考は去り、ぼくは空っぽになった。

 唐突に、ぼくは圧倒的な何か――としか言い様のないもの――に包まれる。そして、生命の本質とは時間ではなく美にあるのではないかと直感する。

 そこに男がやってきて、英語で話しかけてきた。自分は三十五歳で英語学校の学生だと言い、お定まりのフレーズを繰り出す。どこから来たのか、何歳か、職業は、ベトナムで何をしているのか……。ぼくに興味があるというより、単に英会話学習のだしに使うような雰囲気があった。それで少々ぶっきらぼうに言葉を返すと、やがて彼は儀式を終え、去っていった。しかしあとには何も残らず、さっきここにあったものは二度と戻らない。

 ハエがうるさく足にとまり、場所を変えようとぼくは立ち上がった。道路脇の段に座りなおすと、横を絶えずバイクが行き交っていて、そこには何も訪れない。あるのはただせわしげな時の流れだけで、ぼくの精神はまた奔流に巻き込まれ、押し流されていく。そこに薄汚く貧しげな身なりの少年が五人、ズタ袋を抱えて近寄ってきた。彼らは横で何事か口にしたあと、去っていった。彼らがかじっていた奇妙な草の実の房――さやえんどうを巨大にしたようなもの――が、放り投げられたまま、足元に転がっていた。