手紙

 ホテル前の階段にたたずんでいると、少数民族の女の子たちが近寄ってくる。何か買ってほしくても、ぼくが首を振るともうしつこく言ってはこなかった。彼女たちと静かに座っていると、ぼくの心は波紋が立たず穏やかだった。刺激され生まれくる、さまざまな欲望がある。それらは一切合切を飲み込んでさらっていく波のようなものだ。けれど彼女たちといるときだけは、ぼくは夕凪ゆうなぎのような安らかさに包まれた。

 アイスクリームをなめていると、イェンがきて写真をくれという。彼女たちは親しくした旅行者を忘れないよう、写真をもらって持ち歩いているという誰かの話を思い出した。イェンが鞄から取り出した、これまで彼女と接した人々の姿や顔をぼくは眺めた。でもぼくにはあげられる写真もないし、カメラも持っていない。ビザ用の証明写真があるにはあるけれど、いくらなんでも硬すぎる。仕方なく、かわりにメッセージをノートに書いて渡した。するとあとでまたイェンがやってきて、日本語の書かれた紙をさしだした。たぶん日本人の誰かが、彼女の英語を訳して書き留めたのだろう。「まさっちゃんへ」とそれははじまっていた。「まさっちゃんはハノイに行ってしまって、とてもさびしいです。」ぼくはここを発つつもりだから、彼女が英単語を混同しているか、訳者の勘違いだ。手紙はつづいていた。「イェンちゃんは忘れることができません。私のことを覚えてくれてますか。とてもとてもさびしいです。いつ帰ってきてくれるのですか? 次来てくれるまで必ず覚えています。」

 破れたズボンを市場の仕立て屋でなおしてもらって外に出ると、キューちゃんがいた。彼女は細い紐を取り出して、今度は二重にぼくの手首に巻きつけてくれた。再会を願ったり再会を果たした相手にそうするらしかった。ぼくも何か、と部屋に戻ってかばんをひっかきまわしたものの、たいしたものはなかった。ぼくは本のあいだに挟まっていたアンコールワットのポストカードにメッセージを書き、彼女に読み聞かせた。

「マサちゃん、シャシンは?」
「もってないねん」

 彼女は微笑んだ。ぼくはそのやさしい表情が好きだった。数日前、散歩中にキューちゃんとジューと出くわし、揚げパンを食べていたキューちゃんがぼくにそれをくれたことがあった。断っても手を引っ込めないのでぼくが一口かじって返すと、今度はヒロ君にさしだした。ヒロ君が指でちぎると大きく切れすぎてしまい、すると彼女は残りをぼくにくれようとするのだった。

 中国からポストカードを送るからと住所を訊くと、彼女は首を振った。ぼくがペンを取り出して書いてと促すと、彼女はまた微笑を浮かべて首を振った。住所が不確かなだけではなく、学校に行っていない彼女は文字が書けないのだ。胸を鷲づかみに揺すられたような気持ちだった。無邪気そうな彼女たちの現実を垣間見たというより、英語のみならずフランス語や日本語さえ覚えてしまう頭の柔軟さの向こうにある事情にまるで思い及ばなかった自分の無神経さに。ぼくは部屋から新しいノートとボールペンを持ってきて彼女に手渡した。そしてローマ字のアルファベットを読み上げながら綴り、つづけてKyuと書き入れた。