雲南省昆明

 外はまだ暗闇だった。

 遠くの方で人の身繕いする気配がざわっと広がりはじめ、幾度かぼくの眠りは叩かれながら、そのたびにまた夢見の世界に戻っていく。いつものようなすっきりとした目覚めではなく、荷造りやら洗面やらで何人もが通路を行き来しはじめてやっと意識が輪郭をおびはじめた。もうすぐらしい。

 三段ベッドの最上段に上半身を起こせるスペースはなく、ぼんやりした頭でぼくはすべり落ちるように通路に降りた。肌寒い。昨晩は窓からの風が涼しく感じられたが、今は全部の窓が閉まっていた。眠りに落ちながら耳にした、窓の閉められていく音と足音の規則的なリズムの手慣れた感じは、乗務員のものだったのだろう。それもきっと女性だという気がした。窓の外の蒼い闇のなかを建物らしき影がすぎさっていく。工場なのか、赤煉瓦の塀がライトで照らし出されていた。ここが、大都市であるという昆明なのだろうか、それともまだしばらく先なのか。レールの継ぎ目を通るたびに通路に振動が響く。ぼくはそこに佇立したまま、ぼんやりと窓の外を眺めた。レールが切り替わると、車輌はガタンと大きく揺れた。

 まもなく、薄暗く人気のないホームに列車はすべり込んだ。窓の外の気配に、なんとなくまだ降りるべきところではないような気がする。しかしそれはぼくのはっきりしない感覚が思わせるだけで、実際はここがもう昆明らしい。昆明北駅が昆河線の終着地点だった。

 次々と人が降り立ち、朝とは思えないテンションで声を張り上げながら窓から大量の荷物を受け渡しはじめた。圧倒されるようにその光景を眺めていたぼくたちが降りたのはほとんど最後のほうで、がらんとしたプラットホームは冷え冷えとしていた。昨昼の蒸し暑さとは正反対の夜気に息を白くさせながら改札を出た。待合い所にも人はおらず、さっきまでいたはずの無数の人群れははやどこかに霧散していた。

 駅の外に出たものの、ここがどこなのかさっぱりわからない。ここを知らないというだけではなく、方向感覚も駅という概念もことごとく消え、ここに来た経緯も忘却し、何をすべきかを見失ってしまったみたいに呆けていた。ぼくは生まれたばかりで、触れたことのないものばかりがあるかのようだった。まだ頭は眠っていたのかもしれない。にもかかわらず、はじめての感覚とでもいうべき鮮烈な火花のようなものが神経のまわりに飛び散っていた。

 通りを一筋入った暗がりに白い湯気が上っていた。何軒かの食堂だった。大きな釜が表に並び、水蒸気がもうもうと立ち昇っていく。通りに出されたテーブルが裸電球で照らされている。まだ仕込みをはじめたばかりの店もあり、客はまばらだった。中年の男が丸椅子に座り、二つのどんぶりを前に口をうごかしている。一つはラーメンで、もう片方には白い丸餅のようなものが透明な汁に浮いていて食欲をそそった。ぼくたちは同じテーブルに腰をおろし、男の丼を指して数を言った。はじめてひとりで外食する子供のように、ぼくはまわりの様子を黙って見つめた。

 食べ終えるころには少し空が明るみ、ようやく朝の気配が漂いつつあった。

 停車のたびに混雑を増す連節バスの車内で、大きなバックパックを抱えながら手すりにつかまった。さっきまでの「はじめて」という感覚は遠のき、窓の外にはどこかおぼえのあるような情景がある。実際にはもちろん初見だけれど、とりたてて日本と代わり映えがしないのは大都市だからだろうか。それでも、視線を転じるとここはやはり中国だった。目の前で二人の男が床に痰を吐き、それはいかにもいつもの仕草といったふうだった。