ぼくというイメージ

 夢を見た。昔の同級生が大勢出てきて大笑いしたこと以外、内容はおぼろげだった。目をさましても幸せな気分のまま目を閉じていると、窓際は寒いからと昨日から隣に移ってきたサンタフェ氏もまた、大声で寝言を言いながら笑っていた。人が寝ながら笑っているのを見るのははじめてで、実に愉快そうだった。

 雨に濡れて黒く光った石畳を歩き、小さな店に朝食に入った。薄暗い土間に木の低いテーブルと背もたれのない椅子だけの食堂がサンタフェ氏には物珍しいらしく、黒く煤けた厨房や食事風景を何枚もフィルムに収めた。こうした地元の店はこれまで来たことがなかったらしい。彼がカメラを向けると、大鍋で野菜を炒めている女の子が照れて笑い声をあげた。

「街向こうのレイクに行かないかい?」サンタフェ氏が太麺の米綫を半分ほど食べると箸を置いて言った。「ここから歩いて一〇分のところにレイクがあるんだよ」

 はて、湖? たぶん先日行った玉泉公園の池のことだろうと思ったが、あとで調べるとレイクには池という意味もあるらしい。君たちにはよくしてもらったからと彼は食事代をおごってくれた。手品氏と別れ、サンタフェ氏とふたりで旧市街の南を歩いた。中心部のように観光用に整えられたものではない町並みの残った場所を彼に見てほしくて、案内しましょうと連れていったのだ。もっと遠くまで行ったのかと彼が訊ねるので、退屈しはじめたのだろうか、それとも疲れたのだろうかとぼくは気を回し、目的地にたどりつく前に引き返した。その途中で、丘の上まで軒を連ねる家々の枯れた風情を味わってもらおうと丘に上り、また下りとしていると、彼が旅行代理店に昼までに行っておきたいらしいとわかった。依頼していたフライトチケットが取れなければ今晩の夜行バスで行かねばならないらしい。それで急いでチケットを受け取るとぼくたちは胸をなでおろした。彼を公園の入口まで案内し、ぼくは引き返した。

 夕方、日が落ちて小雨の降る中庭に生演奏が響きはじめた。ぼくたちが廊下に出ると、民族衣装を着た男女が演奏にあわせて踊りはじめた。ナシ族の舞踊らしかった。ひとりが打ち鳴らす鼓に合わせて、男と女が輪になって跳びはね、唄い、ときに互いの手を取り、鮮やかな民族衣装の裾を揺らす。生の自然なエネルギーの流れが美を発露させていた。人がそのものを楽しんでいるときと同じように。

 演奏と踊りが終わると、ぼくはサンタフェ氏に声をかけた。彼はナシ族の男にうながされて途中から輪舞に参加していた。すばらしかったですねと言うと、彼は頷いた。
「そうだね。でも悲しくなってしまったよ」
「ぼくもそうです」
「君も?」
「どうしてかはわからないんですが……」
「私の場合、明日発たねばならないということがあるからだと思う。おかしなものだね。明日の夜にはもうラオスにいるなんて。ここから飛行機で数時間の、まったく別の場所とまったく別の人々のなかで新しい旅を始めなきゃならない」
「ええ」
「でも、私はアジアの人々やアジアそのものが大好きなんだよ。ここにはいい人々がいて、すばらしい旅行者たち――君や、他の――と知り合えて、ここを去るのがほんとうにつらいんだ。こんな風に感じたことは今までになかった。インドでもネパールでも」
 彼の目は泪でうるんでいた。先日の晩に「私には恐怖がある」と言いながら見せたのと同じ目だった。
「ネパールに行ったことは?」
「いえ」ぼくは首を振った。「いいところなんですか?」
「いや。ショッピングの場所だよ。みやげをいっぱい買ったり、トレッキングをしたりね。でもそれだけなんだよ」
「そうですか」
「ここは違う……」彼はつぶやくように言った。「まったく、あと数時間で別の国にいることが信じられない」

 踊りを見ながらぼくが思い出していたのは友人の顔だった。気の置けない友人たちの顔が浮かんでは消えた。踊りを導くリズムに、やがてサパのモン族の女の子の唄が重なり、少し悲しい気持ちになった。しかしそれは彼に言っても仕方のないことだろう。夜気が冷えこんできたので彼をうながして部屋に入りながら、ぼくは胸中でつぶやいた。たくさんの友達のことを思い出したんですよ……。

 サンタフェ氏がふとんの上で座禅風に脚を組んだのがきっかけでまた話がはじまり、隣のベッドの小柄なフランス人の男も話に加わった。フランス人のベッドの枕元には、ここで安く手に入れたという欧米のポップスや中国人ミュージシャンのカセットテープがたくさん置かれている。近所で胡弓も習いはじめたという、話していてすぐにいいやつだとわかる二十一歳の男で、彼のことをぼくは心のなかでラヴミュージック君と呼んでいた。話題は次々と切り替わった。仏教、チベット、ダライ・ラマ、輪廻転生、カルマ、ヨガの行者……。ただその単語を知っていることを意味する言葉だけが流れていく。ぼくは違和感を言葉にできないまま黙っていた。しかし同時に、言葉を発したいという欲求に駆られていた。もし皆の母国語が日本語ならそうしていただろう。自分を語り――自分の考えを語るとはそういうことだ――、あるいは自分を飾りたいという欲求。しかし言葉の壁に押し留められた。

 翌朝目覚めると六時すぎで、寝すごしたくなくて三〇分ほどのあいだうとうとしては何度も目をさました。サンタフェ氏が部屋の外に荷物を出すと、ぼくも起きあがって廊下に出た。あいかわらず雨が降りやむ気配はなかった。
「雨だね」と彼が白い息を吐いた。
「そうですね。でも、ラオスでは晴れてますよ」
 そしてぼくは心のなかでつぶやく。晴れ男になりますよ、ラオスでは……。

 昨晩、サンタフェ氏の参加した踊りが終わり、話をしていたときのことだ。踊りの後に彼にビールを振る舞ったラヴミュージック君の人柄をぼくが誉めると、サンタフェ氏はうなずいた。ラヴミュージック君はこの二か月で英語が話せるようになったそうで、それまではまったくしゃべれなかったと言っていたというので、自分も頑張って勉強するとぼくは決意表明するかのように笑った。

「それにしても、最初、私がここに来たとき、君は話をしたがっていないように見えたよ。どうしてだい?」
「それは――」ぼくは言い淀んだ。

 意思疎通したいという以上に英語ができないという引け目があったから。そう表現したかったが言葉につまってしまった。引け目という言葉が適切なのかどうかわからない。そしてそれだけでもなかった。ぼくは、話したいという自分の気持ち以上に、相手にとっての価値を意識してきた。つまり自分が何を言いたいかではなく、それが相手にとって有用かどうか。

「じゃあ」と彼が手をさしだした。「いろいろとありがとう」
 固い握手の感触とともに彼は去っていった。アドレスを交換したいとぼくからは言い出せなかった。もう一度ふとんにもぐりこみながら、彼のなかのぼくはどうだったろうと少し考えた。他人のなかに作られる自分のイメージにとらわれていることに気づかずに。