裸足の少女

 その朝、おばちゃんの屋台のそばには子供も妹もおらず、彼女はひとりで英語学習の小冊子を開いていた。それで、ぼくは英語で「毎日何時まで働いてるの?」ゆっくりと話しかけた。表情からすると理解できないようだ。
「一生懸命働いてるんやね」
 今度はワークという言葉がわかったらしく、彼女は英語らしき単語をペラペラと口にしたが、今度はぼくがまったく理解できない。

 ここでバインミーを買うのが日課になっていた。正確にはバインミーティットと言うらしく、ベトナム語でバインミーというフランスパンにティットをはさんだバゲットサンドだ。具には肉だけでなくレバーペーストやチーズ、きゅうりやトマトや甘酢野菜、香菜などをあわせ、ベトナムの魚醤ヌックマムで味付けする。腹持ちもそこそこで朝にはちょうどよかった。

 宿に戻ってバルコニーで口を動かしていると、激しいスコールが降りはじめた。ここ数日は曇天がつづき、たまに晴れても空一面に青空が広がることはなかった。雨季に入ったのかもと日付を確認して、日本を出て一か月たったことに気がついた。その前の記憶がずいぶん遠くに感じられる。その日々が現実感のないのっぺりとしたものに思えた。

 ベトナムに入った当初は、繁華な通りや高級ホテルやバイクの群れは日本と同じく薄い膜を隔てた向こう側にあるかのようだった。しかし目が慣れると、透かし絵のように別模様が浮かび上がる。ここは、人糞が路傍で臭気を放つ場所でもあった。今も向かいの店の軒先には、蒸しピーナッツをトレーに載せて売り歩くふたりの子供の雨宿りする姿がある。バルコニーから彼らを眺める状況と同様、彼らにたいしてぼくは傍観者で、たとえ物理的な距離が縮まってもそれは同じだった。昨日物売りの少女たちを見たときのように。

 そのときもぼくはバインミーをぱくついていた。町を歩いていて空腹をおぼえ、屋台で買って石塀のくぼみに座って食べはじめたのだ。そこへ少女が二人、物売りにやってきた。赤い生地に白い小紋の入った、清潔そうでかわいらしいベトナム式簡易服を着て、ガムか何か――まったく買う気の起こらないもの――の入った小さな箱を手にしている。身ぶりで意思を示すと、彼女たちはあっさりと通りすぎていった。しかしその後ろ姿に目をやって、足元に視線がくぎづけになった。小雨が降りはじめたアスファルトの上で、二人の少女は裸足だった。その形姿からすると、さほど貧しそうには見えないのに。彼女たちの歩き方は、やわらかな絨毯の上を流れるように歩むファッションモデルのように優雅だった。ぼくは、近くの路上に割れたガラス片が散らばっていたことを思い出した。スニーカーの下でバリバリと乾いた音を立てたのだ。

 存在に漂う弱々しさ、ガムを売り歩く生活、裸足、雨、都会、アスファルト、ガラスの破片、立ち昇る気品……。それらの不調和がぼくの気持ちを激しく揺り動かした。これまでも同じような子供を無数に目にしてきたし、裸足に慣れた農村から出てきたばかりなのかもしれないと考えても説得力はなかった。ただ、なぜか同時に、ぼくはその姿に惹きつけられてもいた。この都会に順応しようとしない無邪気なほどの無防備さにか、昔日の面影にか、それとも自分が失った何かを見たからなのか……。