信念と困難と恐怖と愛情

 手品氏から聞いたとかで、カール君が部屋に訪ねてきた。昨日手品氏と同じ部屋にチェックインしたらしい。彼はイスラエル人で、麗江リージャンのドミトリーでぼくがジンジャーティーを振舞って以来、たびたび話しかけてくるようになった。

 昨日頭痛だったらしいけど調子はどうかと訊ねると、大丈夫とカール君は答えた。ここ中甸ジョンディエンの標高は三三〇〇メートルで、高山病のような症状が出てもおかしくない。しかしまだ痛むらしく、彼はときどき眼鏡をはずして赤茶色の髪のカールした頭をおさえた。

 銀行に行こうと宿を出ると、ふたりの後ろ姿が見えた。追いついて声をかけると、カール君の郷城行きのバスチケットを手品氏が買ってあげるのだという。通常外国人には購入できないが日本人は例外らしい。カール君のチケットが無事手に入ると、手品氏は温泉に行くと先に去った。ふたりで松賛林マントウとゆで玉子をパクついていると、ソンチェンリン寺にいっしょに行かないかとカール君が誘った。ひとりで行こうと思っていたので最初は間接的に断ったものの通じず、英語の練習がてら彼と行くのもいいかと思い直した。

 遠くの山肌の残雪が、青く晴れ渡った空に抜けるように白かった。
「一昨日キミがあのフランス人と話していたことは、ぼくにも意見がある」歩きながらカール君が口を開いた。「キミが言っていたことは面白かったよ」
「そう?」
「まったく同じ意見じゃないけど、理解できるよ。ぼくには特定の宗教がないからさ。今イスラエルの若者には無宗教の人間が多いんだ」
 宗教とあの話とは、ぼくの意図からは関係なかった。あの話とは麗江のドミトリーでのラヴミュージック君との会話のことだ。
 そのときのぼくは、まわりで飛び交う会話を聞きながら自分の思いをスムーズに言葉にできないもどかしさを感じていた。話題自体は表面的だった。彼らが興味のあるというあれこれが、スーパーの棚にならぶ商品の名を読み上げるように挙げられた。チベット仏教、風水、イギリスのとある土地の話や他のパワースポット、タオ……。黙っていたぼくに、ラヴミュージック君は最近自分が感銘を受けたという本の話をした。人間の進化について書かれているのだという。題名はおぼえていないというが、内容からするとJ・レッドフィールドのベストセラー「聖なる予言」らしいと想像がついた。
「ああ」とぼくは言った。「知ってる」
「読んだ?」
「いや」
 いい本だから読むといいよとしたり顔で勧める彼の言葉にぼくはげんなりした。本屋で手にとってみたことがあるけれど、自己啓発本のような、ご都合主義の小説にしか思えなかった。
「だんだん人間は進化してる」
「そう?」
「そう思うよ」と彼は言った。「近い将来、人類は進化して高いレベルに達するんだ」

 なぜなら科学技術が発展しているからだという。その口調はいかにも確信ありげで、寿司氏のときと同じだ。なるほど、そういうことかと合点がいった。ところが、ぼくの疑問に逆に理由を問われて、躊躇してしまった。ふだん日本語でも口にしないようなことを英語で話して理解されるだろうか。結局、中途半端に曖昧な言葉でにごしながら、胸の奥から奔流が湧き出すような感覚をぼくはおぼえていた。それはたぶん自分の思いを伝えたいというエネルギーで、うまく言葉に変換されずぼくのなかに残った。その翌日、ラヴミュージック君と他愛もない話をしながら、本心からの言葉を発してみようとぼくは決心し、質問を投げかけた。

「いいことと悪いことっていうのは君のなかで明確なの?」
「はっきりしてるよ」
「それは誰にとっても同じなのかな?」
「そう。客観的にはっきりと分かれてる。固定してるよ」
「ぼくはそうは思わない」

 必ずしも科学はこの世界をよくしない。ものごとの影響は、良い面と悪い面にあらわれる。行いが良いことだけにつながることは実際には稀だ。いや、そもそもという判断など一面的で、あるのは一面的な解釈だけだ。視点を変えれば、ものごとには必ず両面がある。しかし、ぼくの言葉は彼にはピンとこない様子だった。彼は将来音楽か福祉の仕事をしたいのだという。自分はできると信じていると彼は言った。

「君は、そのどっちかっていう選択肢を前にして選べるの?」
 彼は少し考え、選べないと答えた。音楽は稼いでいけるか、福祉はずっとやれるか自信がないから。どっちにするかという決め手がないから困るんだと彼は言った。選びようがないのだ、と。
「でも音楽が好きなんだよね?」
「うん、でも……」
「迷ってるってことは、実際はどっちもそれほどやりたいわけじゃないんじゃないかな」
「そんなことないよ。ただ……ふたつの山があるんだ。そこには困難と恐怖がある。でもできると信じてるよ」
「どうだろう」
「信念が大事さ」
「思うに、ただ目の前の事実があるだけなんじゃないかな。それはイメージの問題じゃないし、そうしてはいけないんだ。事実があるなら、それを信じるも信じないもない。それにたいして行動するだけだ」
 うなずく彼を見ながらぼくはつづけた。
「ほんとうに何かをするときには、選択肢なんて考えずにしてる。たとえば君が誰かと話がしたいから話をするときとか、胡弓アーフーをひくときとか、選択の上でするの?」
「いや」
「気がつくともうしてる。ほんとうに大切なことには選択なんてない」
「たしかにそうだ」

 何かをしたいという欲求があっても、恐怖に押しとどめられる。それが葛藤を生み出す。そこには自然な行為はなく、自然な行為があるときには葛藤はないはずだった。ところがそんな話をしながらふと窓の外の雨に目をとめたとき、自分の行為をはっきり認識したのだった。ぼくは言いたいことを伝えようとやっきになっているだけだ、と。ここにあるのはたぶん怒りのようなものに近く、自分はそれにとらわれ、飲み込まれていた。彼はぼくであり、ぼくは自分自身に向かって話をしていた。言い聞かせようとしていたのかもしれない、自分の奥深い感情に向かって。