困難と希望、葛藤と調和

 山上の寺まで散歩がてらのぼってみることにした。小径はほどなく細く枝別れし、目印にしていたロバの足跡も見あたらなくなった。山中の植物相は日本と似ていて、命の気配がひそやかに息づいている。小さな昆虫、蝶、蝉、花々、松。あたりの沈黙は深く、世界の奥行きが感じられた。振り返ると、街も湖も山もしんとたたずんでいる。そこからの世界は透明な湖のような清らかさを湛えていた。なぜぼくたちは、この調和を崩してまで希望を求めようとするのだろう? たぶん、かきたてられた欲望や恐怖のため……。美しい自然に囲まれていても、人間の心のなかは不安や苦しみでいっぱいなのだ。

 希望は必要だとラヴミュージック君は言った。それが人間を進歩させるんだと。ところが困難と恐怖というふたつの山に阻まれ、進むことができないという。往々にして、それがぼくたちのさす希望なのだ。葛藤にまみれた願望や欲望を裏返して団子に丸め、未来に投げつけている。しかしそれはおかしなことだ。今困難のなかにあり、恐怖に足をとられた自分が願望する。苦しみから開放され、何かを達成し、獲得している未来の自分を思い描く。そこには時間差があり、それはある種のエネルギーを与えてくれるかもしれない。けれども希望そのものが現下の問題を解決するわけではなく、その時間差ゆえに、現在から目を逸らす口実になりうる。理想や希望は甘美でもあり、現実の姿と向き合うことなく耽溺するならばそれは逃避でしかない。どんなものに淫する場合でも同じように、無自覚に身を任せると足をすくわれる。そして自己を否定する絶望へと変わる。人は多くの夢や理想を掲げながら、他方で都合よく世界を破壊してきた。欠乏に意識を注ぎ、理想を抱き、目標として邁進する。けれどその精神は、ここからこぼれ落ちていくものに気づかない。眼前の美しさが目に入らず、自ら苦しみを生み出していると気づかずに、水に広がる波紋のようにますます混乱をひろげていく。だからこそ、安易な希望よりも苦しみの波紋をひろげないことの方が今を完結させていると思えた。

 歩きながら、麗江で会った眼鏡のおばはんの言葉がブーメランのように蘇った。彼女はこの山を一時間半でのぼったと言っていたのだ。気がつくと、その時間を超えてやろうとぼくは意味もなく先を急いでいた。他人のどうでもいいはずの言葉がぼくを縛り、今ではない未来へと追い立てていく。

 上の寺に着くと境内をはずれて壁の上に座り、穏やかな下界を眺めた。単調なリフトの金属音だけがあたりに響いていた。帰りは別の小径を下った。往きと同じように森閑としていて、しかし空の光が落ちはじめたからかどこか寂しげな雰囲気があった。道端の草花は美しかったが、生き物たちは気配を閉じつつあった。ここで夜を過ごせば深い闇に怖れをなすに違いない。それは、生ある存在の深さだ。自然の豊饒は同時に、容赦無い厳しさと死を孕んでいる。

 ふもとまで下りて市場前のラーメン屋に入ると、店先で少年が口笛を吹いていた。昨日バスのなかでくり返し聴いたメロディーだ。その響きには、人の奏でる素朴な温もりがあった。

 そこは十代後半とおぼしき青年が注文ごとに麺をうってくれる。けれどもぼくは初日になかった水餃子を求めて毎日通っていた。「今日はあるやろね?」と看板を指すと、案の定、わざとらしく顔をしかめ、「没有」と間延びした声で言い放つ。この四日間で一度もありつけたことはなく、明日はありまっせと毎回自信ありげに言われながら、結局太さの違う手打ち麺を食べている。今や水餃子よりも、いつまでとぼけるつもりだろうという興味の方が勝っていた。
 麺をすすっていると青年が話しかけてきて、また放言かといぶかりつつ紙を渡すとペンを走らせた。午後の十二時以降に来い、水餃を食べられる、とある。
「ほんまやろなぁ?」
有有ヨウヨウ
 それで昼にまた赴くと、青年の母親らしきおばちゃんが「有有有有ヨウヨウヨウヨウ!」と目を剥いて叫び、あわてて用意を始める。他にも注文をとぼくが看板を眺めていると、早く入りぃなと青年が具を仕込んだらしきラーメン鉢を手に手招きし、彼のお姉さんが乳白色の団子をうすくのばして皮を作りはじめた。

 本降りの雨のなか、古びた建物全体がじめじめしていた。ぼくはひさびさにひどい下痢で、おまけに離れの便所に行くたびに傘が必要だった。配管設備に問題があるのかシャワーの茶色い湯が錆び臭く、カンボジアで下痢と高熱がつづいたときと同じだ。そうした事情と雨のなかの宿の陰鬱さを軽減しようと、ぼくは同じドミのユースケ君たちと二日つづけて宿を移した。彼らは宮崎出身の二十三歳だった。文章を書く仕事をしたいというユースケ君は、帰国後はバイトして東京に行き、どこでもいいから出版社に入るつもりなのだという。

 夜になると、目抜き通りの食堂で三人で晩飯を食べながら、ぼくはおおかた聞き手となって彼らの言葉に耳を傾けた。これまでのバイト、同世代の生き方、日本で生活していく気分……。とりとめのない話題のなかで、彼らの芯に熾きのようにくすぶる苛立ちのような感情が感じられた。それは今の日本で彼らが向き合わせざるをえない隘路あいろのようなもので、ユースケ君がそれを言語化しようと言葉を重ねると、逆に混沌のなかにぼくたちは流れを見失った。彼らの断片的な言葉に切れ切れの言葉を返しながら理解できたのは、ふたりの抱える強い葛藤だった。そう指摘するとユースケ君はうなずいたが、かといって今の自分のなかにある大きな葛藤を取り除きたくはないのだという。

「それが苦しみの大きな根やってわかってるのに?」ぼくは訊ねた。「苦しみを力ずくでねじふせようとしてても、根そのものを捨てようとはしてへんように見えるけど」
「調和がほしいとは思わないんです」ユースケ君は答えた。「いろんな葛藤に苦しんでいる自分がいる。でも、そんな自分に調和が訪れれば――もし葛藤をなくしてしまえば――自分がなくなってしまうような気がする。苦しみがあるから自分が自分として生きている実感がある。だからこのままでいいんです」

 ぼくがわかっていたのは、今の彼を言葉で深追いする愚かさと、自分が彼にとって有用な言葉を持ち合わせていないということだけだった。ぼくにできるのは、彼の言葉に耳を傾け理解しようとすることだけだ。それでも、彼のなかにある恐怖心の波立ちとその暗い潮流を見つめながら、静かな思いがふつふつと湧き上がっていた。はじめから自分なんてものはなく、あるのは空虚な殻だけだ。人はそれを満たそうと求めるけれど、その行為自体が葛藤であり分裂であり、かえって空虚さを増幅させる。ヨクすることがなければ、目標がなければ、努力しなければ人間はダメになってしまうなんてデタラメだ。それは一面的で表面的な人間観でしかない。一体となろうとするところに一体はないのだから。

 雨のあがった午後、プールサイドの机に座ってぼくは空を眺めていた。裏手から子供たちの遊びはしゃぐ声がきこえてくる。幼稚園とか学校なのだろう。子供の歓声はどこの国でも同じだ。陽ざしの傾きはじめた空にそれはやわらかくひろがっていく。

 皆で夕食に出た。別室のドミの女の子は、日本で何をしていたか口にするのをためらっていたが、実は美大を卒業して絵を描きながら画廊に勤めていたのだと打ち明けるように言った。それをきっかけに話は創作論になり、ユースケ君が自らの内側に問いかけるように発した問いに彼女が返答し、彼が自分はこう思うという形で会話はつづいた。自分を作品の中にどう反映させるのかとユースケ君が訊くと、彼女は答えた。

「隠そうとしても絶対に自分は出るし、自分を隠そうとする人の作ったものは、結局それだけの深さのものでしかないから」
 たぶん彼女は絵を通して自身とよく対話しているのだろうなと思った。それからもユースケ君は熱っぽい口調で言葉を投げかけ、おそらく意図せず自分を曝け出したユースケ君のストレートな問いを彼女は面倒がる様子もなく、彼の言わんとすることをじっと聴き、理解しようとしていた。

 明日の出発のため荷物をまとめ、シャワーから部屋に戻ると、ユースケ君とアドレスを交換した。ぼくは、前に読ませてもらった未完成の小説のことを言った。
「楽しみやね、完成するのが」
「書けたら送ります」と彼は言った。「最初の読者ですから」

 さまざまな記憶や思考がつながっていく。ぼくはそれにぼんやりと焦点を合わせながら天井を見つめていた。もとは絵の展示室だったというドミの大きなガラス窓から月の光が射し込んでいた。頭上の窓に目をやると、墨を流したような空に星が瞬いている。同室の皆は眠りにつき、規則的ないびきや寝息が聞こえている。ぼくが小さかった頃、夜に寝つけなかったときのことを思い出す。父と母の寝室に行って眠れないのだというと、「目をつむってたら眠れるから」とむりやり寝かされたものだ。父と母の横でぼくだけが寝そびれ、呼吸を合わせれば眠れるんじゃないかとそのペースを真似たこともあった。しかし、今は誰の呼吸にも合わせる必要はなかった。じっと横たわりながら、ぼくは自分の息遣いを感じていた。