沈黙の深さ

 翌朝ぼくたちは市場に赴き、手作りの蒸しパンと餃子を腹一杯食べた。そして場所を変えてジュースを飲みながらまた長々と話をした。会話というより大方彼女の独白だ。よくこんなに次から次へと言葉が出てくるものだと感心しながら、ぼくは相槌をうった。話の核をなしていたのは、彼女は今まで絵を描くことを中心に生きてきたということだった。

「絵ばっかり?」
「ほとんどそうだったと思う」
「人とつきあいもなく?」
「ううん。学生時代からの何人かの仲のいい友達はいたけど」

 彼らとはときどき食事をいっしょし、とりわけひとりの男友達とはよく電話もする。困ったときには助けてもらうこともある。でもけっして恋愛関係にはならなかったし、そんなことを思ったこともなかった。向こうにも彼女がいたから同じだったと思う。ただ、夜遅くに電話しても何時間も話を聞いてくれるような友達だったから、寂しさを感じることはなかった。彼から留守電が入っていて、彼女が絵に夢中で電話を返すのを忘れていたりすると、様子を見に来てくれたり、話をしていて、ときどき遅くなったら泊まったりすることもあった。もちろん何ごともなかった。彼のつきあってる彼女とも仲がよかったのかと訊ねると、ほとんどつきあいはなかったという。その彼女は、自分の彼にそれだけ仲のいい女友達がいてどうもなかったのだろうか? それはなかったと思うと彼女は答えた。

「信用してたんやね、彼女が彼のこと。嫉妬したりはせえへんかったんや」
「嫉妬って? どういう意味で?」
「浮気はしてないとしても、そんなに仲が良いことにさ」
「そんなこと考えたこともなかった、今まで」
 ぼくは吹き出した。「そうなんや」
「普通、そういうことを思うもの?」
「人それぞれやろうけど。そんな感情を持ったとしてもおかしくないやろなぁ」
 彼女は考えるように少し沈黙した。
「でも、最近新しい彼女ができたみたいで、今から考えたらそうだったかもしれない。旅行に行くときも見送りに来てくれるって言ってたのに、急に行けないとか言われて。旅行前はあんまり彼と連絡が取れなくなって。どうしたんだろうって思ってたら、ちょっともめてるみたいだった。結局は見送りに来てくれたけど。でも、今までほんとにそんなこと考えたことなかった。人のそういう気持ちに疎くて……。旅行中に追いかけてきた男の子にプレゼントを渡されたとき、そんなことを思ってるなんてずっと気がつかなかったし、わたしにとってはいつもいきなりで驚いてしまって」

 別の男友達でずっと仲良くしながら彼女は友達だとしか思っていなかったのに、突然好きだと言われたことがある。でも彼女に気がないと知って離れて行ってしまった。彼女は友達として仲良くしたかったのに。同じ学校の男に告白されたこともあった。彼とは趣味嗜好が似ていて、好きな絵や映画や他の芸術に関しても話が合って楽しかった。最初は自分が彼に憧れのような気持ちを抱いたこともあった。彼のことがとても気になったけれど、それが好きという感情だったのかはよくわからない。しかしそのときの彼は絵しか頭にないようだった。ところが何年かして、今度は彼から気持ちを告白された。ただ、もう自分には彼に応えられる気持ちがなかった。今はいい友達としてつきあっている。彼はまだ自分に気持ちがあるのかもしれないけれど……。

「わたしがすごくわがままなんだと思う」
「ええんと違うかな。それが正直な気持ちなんやったら」
「今は絵に集中したくて」
「それだけ好きなことを見つけるってなかなかできへんよ」
「でも、絵だけでは生活していけないから」

 大学卒業後、彼女は絵を描きながらスーパーでの食品の実演販売だとかのアルバイトをした。手を抜かなかったのでたぶん評価もよかったけれど、生活の手段だったものにエネルギーをとられていく気がした。だから次に画廊に勤めはじめたものの、何かが違った。個展の話をもらったこともあるが、内容が自分の方向性とあまりにズレていて辞退した。今はこうやって親に部屋代を出してもらって生活しているけれど、いつまでも負担をかけているわけにはいかない。だから早く絵をやらなければ。でも旅行もすごくやりたくて、早く帰らなくちゃと思っていても、いろんな人から各地の話を聞いて、どんどんのびてしまった。ほんとはこんなになる予定ではなかったのだけれど。

 夕方、互いの部屋に戻った。暗くなりはじめた室内は、外の世界とは隔絶されたようにしんとしている。カーテンも椅子もベッドも微動だにしない。ぼくはドアのそばに立ち、沈黙を聴きながらたたずんでいた。

 彼女と行動しながら、自分の思考が自我を中心にまわりはじめていることを意識しないわけにはいかなかった。静けさの保たれていた自我が熱を帯び、湧出しはじめる。ふたたび静めようとしてもそれは別の自我にすぎず、両方が葛藤しはじめるのだ。深いところで何かと接したいという気持ちがあっても、しょせん壁を隔てているとわかっている。願望はつねに壁のこちら側からの動きにすぎない。つまり欲するがゆえに存在を分けてしまっている。それとも存在を分けるがゆえに欲するのかもしれない。自我を観察すると、そもそもそれ自体が自己矛盾を抱えていた。共有したいと強く希求し、意識しても、その意識自体はすでに共有しているものには気づいていない。だからぼくは彼女と向き合いながらあまり言葉をはさまず、自分を見つめようとした。そしてそんな自我の動きに疲れた。求めているのか、いないのか……。おそらくそうした言葉の区切りでは測れないものがぼくのなかにあった。

 窓の外には、夕刻の淡い空と山のシルエットがあった。その深い沈黙とやさしさを感じた。自然は何て途方もない存在の深さを有し、夕暮れはなぜこんなにも豊かなやさしさとともにあるのだろう。拒否することも受け容れることもなく、ただ共にあることのやさしさ……。実在とともにあるとき、そこには時間の感覚がない。いくら言葉を重ねたところで共有できないものがある。沈黙の深さにはかなわない。

 翌日、乗合バスで遠出したガンランパの早朝マーケットに、彼女の期待する民族服や民族小物はなかった。朝食がわりの包子をぱくつきながら再度乗合バスに乗りこみ、三輪バイクタクシーを乗りついでミャンマー国境に向かった。出入国ポイントのひとつから一時越境できると聞いていた。他の町と瑞麗との違いが新鮮だったので、少しミャンマーに入ってみたかったのだけれど、ゲートの係官はパスポートにさわりもせずに手を振った。何らかの理由で現在は越境できないらしい。仕方なく近くのマーケットを見て廻ったが他と変わり映えせず、あっけない空振りに疲れをおぼえながら食堂で昼食をとった。ところが、支払い時に店主が告げた値段が最初に確認したときとは違っていた。はなから悪意があったわけではなさそうだとわかり、互いの主張の真ん中で妥結すると、状況を見守っていた奥さんらしき女性がいい解決だというように屈託のない笑顔を見せた。その表情に、ぼくもほっとするような気持ちをおぼえたのだった。

 瑞麗市内のフルーツシェイク屋で、彼女は今後の日程について話した。十月中に帰らないといけないとずっと思ってたが、どうしてもいろんなところに行きたくなってしまい、十一月の初旬までのばすことにしたのだという。それは、大理の公安局で延長したぼくのビザの期限と重なっていた。彼女は、親に家賃を払ってもらっているから望みのままに旅はできないのだと説明した。アトリエを兼ねた、大きな号の絵が入る部屋で家賃も安くないから、部屋をそのままにして長期旅行するのは気がとがめるという。
「でももうかなり予定を上回ってて、十一月に入ったら最初でも最後の方でも同じなんだけど」

 夕食後に入ったカフェで、チャイを飲みながら低い椅子に腰かけて彼女のおしゃべりを聞く合間に、この空気はどこから生まれるのだろうとぼくは思った。この小さな空間を訪れる人々が醸し出す雰囲気は至極平安でなごやかなものだった。友好的で、これまで中国では感じられなかった温厚さに包まれている。各地で入ったカフェの快適さは、多くは旅行者用に作られたものだった。ここには周辺で商売を営む人々が訪れ、朝と昼とでロンジーを着替える店の男たちと言葉をかわし、カレーを食べ、チャイを飲み、煙草を吸い、キンマを噛んで口を赤く染めている。さっきの露店でもそうだった。夕食を口に運びながら、ふと世界の時間が今始まったかのようにまわりを見まわすと、異邦人はぼくたちだけだ。けれどもぼくたちは場に溶け込み、皆ぼくたちのことなどお構いなく、幸せに食事をとっていた。彼らの親密なやりとりをぼんやり眺めているだけで心地よかった。