越境

 薄暗い町をバスで後にしながら、ほっとしていた。

 イェンは見送りに姿を見せなかった。そんなことをされたらやるせない気分になったろう。たぶん夜が遅いかわりに朝はのんびりで、目覚まし時計なんてないだろうし、そもそも必要ないのだ。起き出してから彼女はぼくとの約束を思い出してあわてるのだろうか。そのシーンを想像しながら、ぼくはほくそ笑んだ。

 ラオカイの出入国管理事務所前には、長い行列ができていた。自転車に積めるだけのバナナをくくりつけて橋を渡る女や大きな麻袋を抱えた男たち。こんなにも大勢が隣町に行くように国境を往来する光景を目の当たりにして新鮮だった。彼らのしていることもまた国際ビジネスであり、世界を股にかけてという言葉がふさわしい。国境の川に架かった狭い橋を歩いて渡ると、小屋のようなイミグレでは荷物検査もなく、入国手続きはあっけなかった。

 日本と小さな町と変わらない。それが河口ホーコーの第一印象だった。目抜き通りのビルの壁はタイル材に覆われ、鍍金めっき加工された真新しい表示板がある。ところが表通りからはずれるとがらりと印象が変わった。両替に入った中国銀行のなかは薄暗く、一昔前の農協や地方郵便局を思わせる超時代的な空気のなかで事務員がそろばんをはじいていた。

 蒸し器が置かれた飯屋でとびきりの小篭包を食べ、一息ついて店を出た。強い日ざしを浴びながらバックパックを背負って歩きはじめたものの、なぜか体がふらついた。真新しい郵便局に入ると、ありがたいことに冷房がかかっている。やはり体調が思わしくなく、体がだるく熱っぽかった。次の列車まで余裕があり、ぼくたちはナオちゃん宛に手紙を出すことにした。しかしさらさらとペンを走らせるナナさんを横目に見ながら、ぼくの思考はまとまらなかった。

 ぼくが知っているのは彼女が父親を失ったという事実だけなのに、一方的に何を書けばいいのだろう。彼女と滞在したダラットを離れて以来、心が静かになると彼女独特の人柄の余韻のようなものがひたひたと押し寄せることがあった。かといって彼女との再会を期すことはなかったし、手紙も書かなかった。思い出しはしても、形にしたいとは思わなかった。ぼくたちは、あの数日間を未来とのつながりなど考えずにすごしたのだから。逆説的かもしれないが、だからこそ輝きを放っているのだろう。それでもハノイであのことを聞いてからは、なにかしら手紙を書こうと思ってきた。でも彼女の現況が不明なまま、はたしてどんな内容にすればいいのかわからなかった。数日前、ナナさんたちの部屋で見せてもらったカラー写真のなかに帰国前のナオちゃんがいた。その表情に翳がなかったことにぼくは少し安堵した。

 長い時間をかけ、熟考して精一杯の気持ちをこめたつもりだった。けれど読み返してみると見事に堅苦しかった。こんなものを読んで楽しいはずもなく、少しでも心に届くものがあるのだろうか。ナナさんのを読ませてもらうと、いつもの話し口調の自然な文体に感心させられた。しかしあまりにも神経を集中させたせいかくらくらして、書きなおす気力は残っていない。

 体中のエネルギーを搾り取られたようで立っていることさえままならず、投函は任せてぼくは座ったまま目を閉じた。後から考えると、これがすでに予兆だった。