微笑みの色 ホーチミン

 ぽたぽたと濃色の滴がアルミ容器から落ちると、ガラスコップの象牙色の液体の上に黒い層が満ちていく。スプーンでかきまぜられた小宇宙は渦を巻いて白み、ぼくたちはコンデンスミルク入りコーヒーとともにベトナムの朝を迎える。

 自分がここにいることがふわふわとして実感を伴わない。国境からのタクシーで感じたように、ここはまさに別世界だった。

 あれからぼくたちが乗った車はぼろぼろで、エアコンはなく、カセットデッキが音割れしたユーロビートをやかましくループさせていた。スコールが降りだすとナナさんの側のパワーウィンドーが閉まらずに容赦なく車内に吹き込んだが、運転席の若い男は仕方ないといった顔だ。そして、どしゃ降りで視界が数メートルになってもスピードを落とさなかった。スコールがおさまるとぼくは安堵してうとうとした。

 目がさめるとまわりには田んぼにかわって店が並んでいた。カンボジアの風景に慣れた目からすると奇妙に思えるほど西洋的でカラフルな看板ばかりだ。しだいに増えていく商店の様子から、商品経済が力強く回転していることがわかる。しかしそれが何かわずらわしかった。

 到着したホーチミンはしとしと雨で、鉛色の仄暗い空に覆われていた。四人で宿を数軒見て、昼飯をすませてから部屋を決めた。ぼくとヤマギワさんはツイン一部屋をシェアすることにし、ナナさんとフキちゃんとは別の宿になった。ぼくたちは晩飯時に集まり、あらためてベトナム入国を喜びあった。何をしゃべっても可笑しく感じられ、ぼくたちは高らかに笑った。

 ところがそんな高揚も当日限りで、それからは町への間合いの縮め方がどうもつかめなかった。屋台の食事やチェというあんみつ風の氷菓子はおいしかったし、人びととのちょっとしたやりとりも楽しかった。ただ、何かがずれていた。大きな市場をぶらぶらするのも一、二度で十分で、観光客向けの土産店でベトナム語での値段のやりとりを練習するのも気が進まず、漠然と歩くには町は大きすぎた。

 喧騒のなかで、気がつくと時はあっという間にすぎさっている。日本と同じじゃないかという思いはベトナムに入った当初から変わらなかった。いや、日がたつにつれ、無秩序と騒音がますますひどく感じられるだけだ。どこに行ってもスーパーカブの群れが横をひっきりなしに走っていく。沿道に枝葉をひろげた大樹が清々しく並んでいても、その沈黙は一瞬たりとも満ちることがなかった。自分の感性にひっかかるものがなく、言葉も噛みあわないなかで、商売や金ではなくそれ以外の価値観やその奥にあるものに近寄りたいと願ったところで、気まぐれに服屋や民芸品屋に寄って叶うはずもなかった。

 あるとき、夕陽が空を染め上げていた。その美しさに、衝動的にぼくは外に出た。見通しのいい道に出れば、もっときれいな空が見られるかもしれない。自分とこの町をつなげてくれる手がかりをぼくは探していた。しかし、自転車をこぎだすとまもなく夕陽は沈んでしまった。さっきの暮色は残照だったのだ。太陽を西に追いかけても暗くなるばかりで、ぼくは来た道を引き返した。

 顔を上げると、商店の看板がライトで照らし出されていた。スポットライトが部分を浮かび上がらせ、そのまわりは夜のなかに沈み込んでいる。おびただしい数のバイクの流れに混ざってニューワールドホテル前を抜け、バスターミナルをすぎ、市民劇場の前を通りながら、いつしかぼくは思いきりペダルを踏み込んでいた。ふしぎな開放感を感じていた。空気の透明な闇は空に深く、その質感と街の明かりが調和している。しかしその高揚感はわずかのあいだだった。

 大学らしき建物の門を入ると、もう遅い時刻なのにガラス向こうの壇上に教師らしき女性が立ち、マイクを手にしていた。教室には大勢の若者が座っている。踵をかえして門を出かけると、ガラス戸のはまった掲示板を男がじっと見つめ、横で眼鏡の女が熱心にメモをとっている。ふたたび自転車をこぎだすと、一台のバイクが横に並んだ。若い男だった。彼はいったんスピードをゆるめて後方に下がると、またぼくの横に来て、よく聞き取れない日本語で話しかけてきた。悪意がなさそうだとわかり、日本語が話せるのかと返した。ぼくを見て黙っている彼に、日本語を勉強してるのかとまた訊いた。交差点の赤信号でぼくたちは停まり、互いに顔を見合わせて沈黙していると、彼は身ぶりでどうぞ進んでくれと示す。信号が青になっていた。そしてぼくたちは別れる。英語ではなく日本語で話せばよかったのかと、そんな些細なすれ違いに後から気づくのだった。

 晩飯帰りの路上で、紛争前のプノンペンで会った二十歳のメガネ君と再会した。返しておいたという彼にぼくは礼を言った。シェムリアップに向かうという彼に、ぼくは宿に返し忘れたルームキーを託していたのだ。彼は今日ここに着いたところで、プノンペンでドンパチが始まったとき、シェムリアップにいたという。ぼくと同日にここに抜けた韓国人は検問でパスポートと引き換えにひとり五〇ドル取られていたが、彼もプノンペンへの帰りのボートで警官にアーミージャケットを奪われたと無念そうに話した。

 彼は写真の専門学校に通いながらいろいろ撮り貯めているらしかった。ただ、もうあまり写真には力を入れていないらしく、今はビジネスに興味があり、ここで商売したいのだという。そのためにベトナム語を少しずつおぼえようと本を持ち歩いていた。今日また新たに仕入れたのだと言いながら、彼の薄暗い部屋でかばんから数冊の本と辞書を取り出した。その辞書の分厚さと重さにぼくが感心すると、前の旅でも同じことを考えていたのに結局ほとんど勉強しなかったのだと彼は照れたように言い添えた。

 彼の気持ちはよくわかる気がした。ぼくもたびたびレロイ通りの本屋で英語の文法書を手に取っていたからだ。先日ナイトマーケットで出会った女子大生の言っていたとおり、人びとの語学熱を反映して店の棚にはたくさんの語学書が並んでいた。ぼくは買おうか買うまいか逡巡しながらも、それが単にもっと英語を身につけたいという願望の芽にすぎないとわかっていた。バンコクで手に入れたペーパーバックさえろくに読んでおらず、荷を重くするだけだ。それなりの労力をかけることもなく、金で得ようとしても無駄なことだ。そう自覚しながらも、彼の意欲には共感できた。

「こないだ知り合った日本人の女の子もここの語学学校で勉強しててね」とぼくは言った。「ベトナム人の親切な友達もできて、いい所やって言ってますよ」
 ところが、彼は別の部分に反応して首をかしげた。「でもベトナム人はからなぁ。ぼくもベトナムは最初いい所だと思ったけど、かなりぼられてたってだんだんわかってきたんですよ」
「たしかにね。ただ彼女は、いろんなベトナム人と知り合って楽しいみたいですよ」
「ベトナムをいい国だなぁって思うのは一回目だけですよ」彼はなぜか少しムキになって否定した。「外国人にはぜったいにぼるし、だんだんとんでもねぇ奴らだって……」

 彼は、夢を抱いてここを訪れてもカモにされるだけだと忠告するように強調した。もしかしたら彼自身が何か痛い目にあったのかもしれない。かといって、夢を見るなというなら、日本にはもう隙間がないからここで商売をしたいという彼も同じだった。三百万ほど投資すればカフェでも土産物屋でも開けるだろうという彼の見通しを聞きながら、金で解決できる次のプロセスこそ問題だろうと思えた。日々の運営や人の使い方の難しさは日本と変わらないはずだ。いや、言葉や文化が違う分、もっと困難なのではないか。日本とくらべれば未開拓であっても、たやすく入り込めるかどうかは別問題だろう。

 それでも、夢や希望あるいは幻想がある種のエネルギー源となり、タービンの役割さえ成すことを思うと、彼の考えに水をさす気にはならなかった。彼がたとえ現在の考えを捨てたところで、また別のものを探すことだろう。写真からベトナムでのビジネスに希望を転換しようとしているように。その芽が育つか夢想に終わるかは、語学と同じく彼次第であり、彼の生き方だ。そしてぼくはといえば、希望や幻想に見切りをつけたつもりでただふらふらと毎日をすごしているにすぎなかった。

 自分の部屋に戻り、ベットに寝転んだ。メガネ君が話していたことはもう思い出せなかった。どこまでのバスはつらいとか、どこのホテルは高いとかなど、聞いたそばから蒸発してしまう。そんなものより、昼間の些細な出来事が思い出されたりする。通りかかった小さなパン屋から漂っていた匂い。ここではじめて目にした焼き立てパンの店。ぼくが中をのぞこうとしたとき、店の前に所在なげに立っていた女の子が、場所を譲る仕草でどうぞ入ってという顔をした。ぼくはうなずきながらガラスごしに店内を窺ったが、自分がフォーを食べたばかりで買う気もないことに気づき、入らずに離れた。すると様子を見守っていた彼女が「なぜ?」と悲しげな顔をしたのだ。そんな、すぐ忘れてしまったはずの表情が脳裏に浮かぶと、この町との小さなズレのように、その繊細さそのままの状態でぼくのなかをふわふわと漂うのだった。