混沌

 暗闇のなかをバスは右へ左へと頻繁に曲がり、ほんとに空港に向かっているのか不明だった。北に向かうはずなのに、キーホルダーについた簡易コンパスは西や南をさしていたりする。そしてしばらくするとまた北を指す。どこを走っているのか見当もつかなかった。

 三・五バーツのバスは乱暴に加減速をくりかえし、窓から排気ガスや粉塵の混じった生暖かい空気が流れ込んでくる。不安をかきたてられながら、ぼくは目を細めて夜の街を見つめた。

 集金係のおっさんのおかげで何とか空港前の道に降り立ち、空港ビルに入ると寝るための場所をさがした。フライトは明日の午前中だったが、朝の渋滞のひどさを考えると早朝のバスに乗らねばならず、寝坊を案じて空港で夜を明かすことにしたのだった。一人掛の椅子がならんだ場所で周囲の様子をうかがったが、二四時間空港の深夜の安全なんて想像もつかなかった。そばに銀行の両替カウンターがあり、人目があるなら多少はましだろう。頭にターバンを巻いた浅黒い顔の男たちが、総身白のいでたちでちらほらと腰かけている。たいていは二人組で商用らしい雰囲気だ。テレビを見上げる者もいれば、腕を組み頭をたらして目を閉じる者もいる。ぼくも眠気が増して横になりたかったが、どこで眠るかが問題だった。荷物をかついで空港内を歩いてまわると、廊下の隅で目にしたいくつかの寝袋に自分もという思いがかすめた。しかし、こんな人目につかない場所で寝込みを襲われたら対処できるのかと考えるとその思い切りもない。

 元のベンチに戻ると、眠気に堪えられなくなった。しばらく座ったままうとうとして、連結された椅子のでこぼこの上に横たわった。椅子にたてかけたバックパックの上に頭をのせ、ヒップバッグは腰につけたまま、気休めにふたつのバッグをひもでつなぐと、ぼくは即刻眠りに落ちた。切れ切れの眠りだった。

 

 翌日、離陸からわずか四十分ほどの飛行だった。通路をはさんで中華系の男が二人、ペチャクチャと声高におしゃべりしながら、とっておきのウィスキーでもなめるように機内食のサンドウィッチを少しずつかじっている。皆が食事をさっさとすませてビザの申請用紙などを記入しはじめたことに気がつかないのか、降下のためシートベルト着用のアナウンスがあっても食べ終わらず、スチュアードにテーブルをしまうよう注意された。機体の傾きに窓の外を見ると、赤茶けた大地に川が蛇行していた。

 ロイヤルエアカンボジーの機外に出ると、まるで田舎の自動車教習所みたいな、小さな建屋が一棟見えるだけの空港だった。タラップを降り、ねっとりとした空気の沈殿した地上を歩いた。この国について知っていることといえば、まだ昔とはいえない頃の大量虐殺と、大きな遺跡くらいだった。あとは、バンコクでたびたび耳にした両替レートはおろか通貨名さえ忘れてしまっていた。それで身を固くしていたものの、入管手続きは拍子抜けしてしまうほど事務的だった。ろくに顔も見ない流れ作業で、最初の係官がゴム印を押し、次の男が手書きで日付らしきものを記入し、その横の男が書類を束ねるという具合だ。そのあっけなさに国を跨いだ実感はなかった。

 しかし、タクシーで空港を出ると弛緩した空気は一変した。道路脇には裸の大地がひろがっていて、自然が残されているというより、原野のなかにかろうじて舗装路があるという印象だった。フロントガラスの向こうでは、無数のバイクや自転車、歩行者などが混然と入り乱れている。やがて舗装路が切れたのか土煙がもうもうと舞い上がり、道々にどこか殺気立った気配さえ感じられた。沿道の雑然としたつぎはぎの建造物、交錯しながら進むバイクとその喧噪。尋常でない濃度の排気ガスと砂埃。整然という言葉とは相容れない光景は、この国への先入観を拡大フィルターとして、ぼくの目にすさまじい現実として映じていた。不安と恐怖が大きくふくらんだ。

 車は古い建物の前に停まった。乗り合わせた三人はここで泊まるという。ぼくも若い男の従業員について非常用のようなコンクリ打ち放しの階段をあがった。案内されたのはトイレ・シャワー共用の窓もない三ドルの狭いシングルだったが、不満はなかった。年季の入った扇風機が壁にかかり、蛍光灯が一本、天井からぼうっと青白い光を放っている。小さな裸電球が一つ、割れたカバーの残骸とともにベッドの上壁についていた。

 係の男が去ると、バックパックを下ろして扇風機のスイッチを入れた。ベッドに腰をおろし、巻き上げられた蚊帳が揺れるのを見ながら、扇風機の羽がカバーに当たってたてる異音を聞いた。四方が壁にかこまれているにもかかわらず、外路から大きな音が響いてくる。ことバイクのエンジンとクラクションは日本では耳にすることのない騒々しさだ。立ち上がって扇風機の背面のつまみに手をのばし、首を回転させた。中国製でけっこうな年代物だ。強さが一になっていたので三にすると、意に反して風は弱くなった。

 便所とシャワールームを確認しておこうと、鍵を持って廊下に出た。部屋の鍵は、ドアノブについたものと、ドアと壁をロックする大きな南京錠の二重だ。南京錠まで必要かどうか一瞬考え、念のために両方施錠して出た。便所とシャワーと洗面台は同じ場所にあり、洋式便器はそれほど新しくはなかったがよく掃除されていた。

 部屋に戻って荷物をあけると、とりあえず要りそうなものを出した。まずすべきは両替だ。ドルと円の現金とT/Cトラベラーズチェックをベッドの上に並べた。問題は何を携行するかで、現金を身に付けていたほうがいいのか、それともここに残すべきなのか。外で強盗にでもあえば取り戻しようがないけれど、合鍵で従業員に盗まれてもどうしようもない。しかし結局、バックパックのジッパーに小さな錠をかけ、必要なT/C以外は部屋に置いておくことにした。

 ホテルを出ると、排気ガスのひどいにおいが鼻孔をついた。土埃と煤煙で大気はかすみ、エンジン音やけたたましいクラクションはやはり半端ではない。ホテル前にたむろするバイタクのドライバーたちが声をかけてきて、そのなかに片言の日本語を話す鋭い目つきの男がいた。妙に戯画的な口調と仕草で、彼の前にぼくに話しかけた入れ墨のバイタクは嘘つきだから耳を貸すなと英語で言い、「ワタシハダイジョウブ」と日本語で言い足した。その態度は一時期揶揄やゆされた日本のビジネスマン像を彷彿とさせ、そのわざとらしさと仰々しさが不可解だった。からかい混じりなのか、日本人を模しているだけなのか。それでも男の目つきは信用するしないというレベルではなく、獲物を狙う光を帯びている。ぼくが断ると「デハアトデ」とドライバーたちの集団に還っていった。すぐさま哄笑が起こり、冷やかし声がつづいた。おおよその内容は雰囲気からわかった。振り返りながら、ひっかかるもんかとぼくは心のなかでつぶやいた。

 大通りから一つ筋をはずれると、そこはさらに別世界だった。えぐれた未舗装路を大量のバイクが往来し、行き交う人の姿も建物も殺伐として見えた。まわりからの強い視線を感じながら、自分の身なりがひどく浮いている気がした。捨ててもいい服を選んできたつもりだったのに、それでもここでは真新しすぎる。ヒップバッグも、実際は水とノートしか入っていなくとも、大切なものをつめこんでいますといかにも自らアピールしているように思えた。
前夜からの疲れで体が重かった。きつい日ざしを浴びながら一ブロックほど一周し、食堂に入った。近くの人のどんぶりを指さすと、モツとスジ肉入りのそうめんのようなものが出てきた。食堂のおっさんはぼくを見てやけににやにやしていて、そのねっとり感が意味不明だった。

 ホテル一階のレストランは、コンクリの床に簡素なテーブルと椅子が置かれ、角の二面は壁もなく道路にひらけている。そこにあった情報ノートに、何人かが警告していた。レストラン前でたむろするバイタクたちは悪名高いトラブルメーカーで、事前の約束額とは桁違いの料金を要求するなど揉め事を相当起こしているらしい。顔をあげると、さっき声をかけてきた男が抜け目なくぼくの方をうかがっていた。

 部屋に戻るとどっと疲れを感じ、シャワーを浴びてベッドに横たわると、ぼくは眠りに落ちた。しばらくして目をさまし部屋を出ると、薄暗い廊下のつきあたりから光がこぼれている。目を細めながらバルコニーに出ると、外では強烈な陽ざしが照りつけていた。これほどまでに強い光は今まで見たことがない気がした。