街を感じる呼吸とリズム

 昨夜からの雨が断続的に降りつづいていた。だらだらとベッドに横になりながら、名残惜しいからこそ、やはり昨晩出るべきだったとぼんやり考えていた。

 一二時ぎりぎりにチェックアウトを告げると、オーナーのおっさんが切符は手に入れたのかという。これから買いに行くと答えると、手数料二ドルでかわりに手に入れるという。断ると、どうやって駅まで行くのかと訊くので、歩いてとぼくは返した。

「シクロだったら往復一二〇〇〇ドンで行けるよ」
「いや、歩いていきますよ」

 親切心なのか口銭稼ぎかはしらないけれど、ぼくは辞した。

 楽であることとか速さではなく、ぼくにとって大切なことは別の何かだ。歩くことがぼくにとっては街のすばらしさを感じさせる呼吸で、歩調はそのリズムだ。だからぼくは傘をさし、破れかけのカッパを着て雨の街を歩く。

 午後に市場を通ると、いつものおばちゃんのフォーの露店は店じまっていた。やはり朝だけなのだ。毎朝のように通っていたのに、昼間は気にかけたこともなかった。今朝もここで、昨日すすめられたミエンガーをたのんだ。汁をすすっていると、細かな雨滴がテントをたたきはじめた。店は低いテント屋根が連なる路上マーケットの並びにあり、雨が降るとテントからぽとぽとと雫がたれ、通行人を濡らす。午後にならなければ降らなかったスコールが、いつしか午前中からぐずぐずと降りつづける小雨にかわりはじめていた。おばちゃんはいつも穏やかな顔で客と接していて、そのやさしい表情がぼくは好きだった。当初はおばちゃんがけっしてぼろうとしないことがうれしかったけれど、それどころか麺をおかわりしても値段は変わらなかった。数日前にはじめておかわりしたとき、食べ終わって五千ドンを渡すと、やわらかく笑って「これは五千だけど四千におまけしとくわ」と、はっきりとはわからなかったけれど、そんな感じのことを言ったようだった。ここ数日、同じように五千ドン渡すと千ドン返ってきた。それで、昨日ここに来る前に梨を買い、食事がすんでからおばちゃんに渡した。最初は固辞されたけれど、何度かさしだすと受け取ってくれた。しかしその梨はあとで自分も食べると救いようのないひどい味だった。昨日あげた梨はまずくてごめんねと身ぶりで言おうかと思ったものの、うまく伝わらないかもしれないのでやめた。帰り際、豚足がおいしいわよとおばちゃんがまたすすめてくれた。「明日食べるわ」というぼくにうなずくおばちゃんを見ながら、また明日来れるような気がした。今晩ここを出るのだと気が向いたら伝えようと思っていたけれど、その気は起こらなかった。笑顔でおばちゃんにありがとうと声をかけ、ぼくはそこを離れたのだ。

 おばちゃんの空っぽの店を見ながら、たぶんもう会うことはないんだろうなと思った。