何億何十億もの小さなかたち

 炎天下の砂浜で、ベトナム人が四、五人で蟹にしゃぶりついていた。近づいて値段を訊くと、売り子はドンではなくドルで答える。単位がおおざっぱになり儲かるからだ。ドンで交渉して腰をおろすと、かごから生の海老やシャコ、ゆがいた蟹が取り出される。塩胡椒にライムの果汁をたらすと、網で焼かれたあつあつの海老の海の香りとライムの芳香が口中にひろがる。売り子はぼくたちが食べ終わった殻を片付け、前の客の皿を洗っている。天秤棒につるされるカゴの中には、炭のコンロや皿や水入れなどの用具から食材までひとわたりがコンパクトに収まっている。砂浜に寝そべっていると、菅笠ノンをかぶり商売道具をかついだ彼女たちが頻繁にやってきた。

 日脚が傾きはじめると浜辺にはさらに人が増えた。水辺でたわむれたり、サッカーボールを蹴って駆け回っている。ぼくも何となく走りたくなり、荷物を持って波打ち際の濡れた砂の上をジョギングした。砂浜を往復して体が火照ると、Tシャツを脱いで水に飛び込んだ。沖まで泳ぐと、人々の黄色い声が、糸電話のように少し遠くに、けれどくっきり感じられる。穏やかな波に浮かび、空を向いて揺られながら、ぼくはじっと歓声を聴いている。体がゆっくりと波に持ち上げられ、静かに沈む。耳が波のさざめきをとらえている。浜辺の平和な声のかたまりを見守っているような距離感と、暮れゆく空の赤味がかった光の色に、ぼくはやさしい気持ちになった。

 海からあがって紀伊国屋書店の袋をのぞくと、Tシャツと裸で入れた五千ドンはそのままだった。ぼくはやわらかな夕陽の色を帯びた砂浜に座り、波を見つめた。黄昏どきの海辺の景色はどうしてこんなに繊細なのだろう。遠くに見える山々の微妙に色の違う様、その薄い色彩、水平線近くの空の淡いピンク色。細かに揺らめく水面には、無数の小さな平面や曲面がひとつにつながり、幾層もの赤色の光を映じながら色合いをさまざまに変化させていく。あたりには子供たちの歓声が響き、空にはいくつもの凧の影が揺れていた。

 その晩、トゥーンはお父さんの付き添いでホーチミンに行って不在で、ぼくたちはホーンと食事を共にし、その後で彼の部屋に連れられた。そこは建築中の空き家といった外観だった。コンクリを粗く打ったまま、入口には戸もなく四角い穴があいているだけだ。裸電球が一つ、がらんとした空間を薄暗く照らし出した。コンクリの床に一畳ほどのゴザが敷かれ、奥には木製のベットが二つ並び蚊帳が吊るされている。窓らしき壁の穴にも窓枠やガラスはなかった。

 ホーンが古いラジカセと小さなかばんを持ってきて、壁の穴から配線ごと飛び出したコンセントにプラグを差した。かばんには、英語学習の本やカセットテープ、ノートの一式が入っていた。テープをセットすると女性の声がセンテンスを読み上げ、ホーンが復唱していく。ところがひどい自己流で、注意深く真似る気はないようだった。
 壁の釘にくたっとしたズボンがひっかけられている。親戚のおじさんとの同居と聞いていたけれど、おじさん一家は向かいの家だという。ほどなく中年の男がふらりと部屋に入ってきて、無言で出ていった。その男もまた親戚で、ここで寝起きしているらしかった。

 外に出ていったホーンが、ジュースの入った清潔には見えないプラスチック容器を手に戻った。手掴みでグラスに氷を移しかえ、ジュースを注ぐ。伸びた爪のあいだは黒ずんでいる。洗っていない手をどう思われるかなどこれっぽっちも意識していないのだろう。彼女は口をつけなかった。

 噛み合わない会話がつづいた。いつもはトゥーンがぼくの英語をベトナム語に訳してくれるのだけれど、ホーンひとりだと細かな意思疎通は難しい。新たにわかったのは、彼がぼくより四つ年下の二十五歳だったということだけだ。今までぼくたちはどういうやりとりをしていたんだろうと思う。でも年齢なんてどうでもよかったし、コミュニケーションの手段はとりたてて問題ではなかった。ぼくには、彼が卑屈に感じることなく部屋に招いてくれたことがうれしかった。それで、出会った当初から彼が目に留めるたび誉める帽子をあげることにした。緑色のナイキのスポーツキャップ。日本を離れる前に別れた彼女から出発前にもらったものだけれど、特別な思い入れはなく、彼にあげるなら手放してもいいなと思った。彼ならずっと大切にしてくれるだろう。するとトゥーンは、小学生が体育で使うような白帽をかわりにくれた。

 帰りぎわ、アドレスを交換しようと日記のノートをちぎった。ウエノさんは「どうせ私は送らないから」と紙を断った。驚いて理由を訊ねると「だって今までだってそうだったんだもの」と彼女は答えた。