ビューティフルシーサイドにオ~ゥイェ~!

 陽が傾きはじめていた。連れられた家の軒先で、ぼくは子供たちとじゃれ戯れていた。いっしょに来た男はまだ電話口に向かって奇声をあげている。すでに一時間ほどたっていたが、いつまで待たせる気なのか、ときおり響く高らかな笑い声には話の終わる兆しはなかった。

 彼は、昨晩ぼくがひとりで食事をしていたときに声をかけてきた若い男だった。彼にバイクで「きれいな海辺のリゾート」に行かないかと誘われ、数時間かけて彼の母の家にやってきた。ところが現実は誘い文句とは程遠く、水辺にいたのは三、四十分で、あとは……今朝から何をしていたのだろう? 

 五時すぎに起床したとき、隣のベッドのウエノさんは眠っていたが、一度起きたらしく着替えをすませていた。彼女を起こし、トゥーンらと海に行く約束のあったぼくは水着に着替えた。なぜか荷物をまとめておらずあわてた様子の彼女と握手し、ぼくは部屋を出た。

 トゥーンらが仕事に出かけていったあと、ぼくは道端でおこわの蒸し釜を置いているおばちゃんから包みを買った。小さな椅子を出してもらい、朝の交通量の増えた往来を眺めながら口を動かし、ひとりになったことを実感した。

 部屋に戻ると、彼女の慌ただしく去った後の、乱れた抜け殻のような跡が残っていた。ドミトリーに移るために荷物をまとめて室内を整えながら、ぼくは彼女がベッドに座って鏡の前で髪をとく後姿を思い出した。

 昨晩ぼくが遅くに部屋に戻ると、彼女はぼんやりとベッドに座っていた。夕飯をすませたのか訊くと、ホテルの従業員がくれたものを食べただけらしい。それで、自転車に彼女を乗せて近くの店に連れていった。路上に出された低い椅子に腰かけながら、ぼくたちはぽつりぽつりと話をした。暗くなった道に人通りは少なく、ときおりバイクが通りすぎていく。トゥーンらがどんな気持ちでベトナム社会で生き、彼女と接していたか、こうしてあらたまって話したのは二度目だった。すると彼女はうなずき、ぼくが彼らといるのが嫌だったと言った。そして駄々をこねるような口調で「わたしはただふたりですごしたかった」とつづけた。ぼくのそれまでの接し方にもかかわらず、彼女がまだぼくに愛想をつかさないでいたことは思いがけなく、それを彼女が素直に表現したことも意外だった。はじめて、少しだけれど彼女と気持ちの通う会話ができた気がしたのだった。

 待ち合わせ場所に昨晩の彼がやってきたとき、互いに名前は忘れていた。バイクで三〇分も走ると家影はまばらになり、道の両側には田園風景がひろがった。露店で大きなざぼんを三つ土産用に買い、そのビニール袋をハンドルに結わえて走りはじめると、鈍い音とともに袋がちぎれた。地面を勢いよく転がったざぼんは、アスファルトからたちのぼる陽炎に黄色くゆらめいて見えた。

 MTBの彼曰く――といっても「アイ・ブラザー・トーク、アイ・ゴー・アメリカ」などという単語の断片から推し量ると――アメリカで働いている彼の兄から、これから行く家に電話がかかってくるらしい。自分をアメリカに呼び寄せてくれるかもしれないという。彼は興奮し、節回しをたっぷりつけて叫んだ。
「アメリカ! オ~ゥイェ~!」
 その口癖の独特なイントネーションに、ぼくは彼のことをオーイェ君と名づけた。

 昼ごろ、オーイェ君の義理の母の家についた。質素な平屋建てで、割竹を編み込んだ壁には新聞紙が貼られていた。父の「二番目の妻」だという義理の母は娘家族と同居しており、近くの市場にふたりの異母姉がいた。ひとりは野菜、もうひとりは果物を売っていて、野菜はぼくと同齢で未婚だという。彼女をガールフレンドにしないかとオーイェ君はしきりに勧め、君と結婚すれば彼女はハッピーだから考えろと追い立てるように言った。同時に日本はいいぞと姉も煽る。最後に「オーケー? オ~ゥイェ!」と勝手に話をまとめ、高笑いする。

 彼はぼくのヒップバッグを貸してくれと腰に巻きつけ、満悦の態でまわりに見せびらかした。その後ニャチャンに戻るまで離さず、ときおりバッグを見てはニヤリと笑って「ぼくのバッグ、オ~ゥイェ~!」と叫んだ。

 近くの仏教寺に、彼の昔の同級生の僧侶を訪ねた。しかし幼少時以来の再会らしい彼らはほとんど言葉を交わさず、出された炭酸水のボトルを前に事情が飲み込めない。やがて僧侶が立ち上がり、説話を模してあるらしい珍妙なオブジェが置かれた庭を案内しはじめた。正直、何の感慨も興味も起こらなかったが、お布施ポイントで僧侶が合図するたびオーイェ君はぼくに促した。

 次に向かったのは近くの入り江で、膝までの水深しかない海水は動きが止まり、生ぬるく暖まっていた。汚れた水から顔だけ出したオーイェ君がバシャバシャと足を動かすと、近くで釣りをしていた男が眉をひそめた。オーイェ君は泳げないらしく、沖には行きたがらない。ぼくが立ったまま様子を眺めていると、彼は砂の中に潜んだカニのハサミをひっこぬいて奇声を発した。

 昼食後、彼はまたもや奇声とともに椅子の上に立り、「ぼくは金持ちだ!」と青色の分厚い札束をポケットから取り出して掲げた。ここへの道中、わけのわからないことを言っていた意味をようやく理解できた。母親に手渡すよう父から五百ドル預かってきたらしい。彼はそこから姉夫婦に五千ドンを数枚、子供たちに一枚ずつ与え、「君らは金持ちだ!」と愉快そうに笑った。配られる金を待つ姉夫婦たちの目は、何でも吸い込みそうな灰色の海みたいだった。しかし母親にたしなめられ、彼は残りを彼女に渡した。

 そしてようやくかかってきた電話に、彼は奥の部屋で叫びはじめた。ぼくは軒先に座って彼を待った。この家はちょっとした駄菓子を軒先に陳列していて、子供たちがちょくちょく買いにやってくる。四、五人の子供たちが物珍しげに集まってきたが、柵の向こうでも十数人の子供がぼくを窺っている。彼らの服装からすると、あっちとこっちを分けるのは、駄菓子を買えないほどの貧乏か少しましかの違いなのかもしれない。電話が長引きそうなのでひとりで散歩に出たものの、破壊的な日ざしにすぐ退却した。

 一五分ですむと言っていたが二時間がたっていた。子供の相手も疲れ、空に夕方の気配が漂いはじめた頃、やっとオーイェ君が奥から出てきて叫んだ。
「アイ・ゴー・アメリカン! 一年、ぼくはアメリカン・ボーイだ! ぼくは金持ちだ!」
 詳細は不明だが、一年に兄がアメリカに呼んでくれることになったらしかった。

 帰途、バイクを運転しながら興奮冷めやらぬ調子で彼は奇声をあげ、ラッキーだハッピーだと高らかに笑い、叫びつづけた。ぼくからすれば、アメリカに行きさえすれば金持ちになれてハッピーなんだという単純さが微笑ましかった。昼間ずっと、近くの家からお経のような文句と単調な打音が聞こえていた。その家の主人はアメリカへの出稼ぎで村いちばんの金持ちになって帰ってきて、今は働かずに暮らしているらしい。そのコンクリの箱のような家は、近隣の椰子の幹と葉で作られた家や牧歌的環境のなかで特異な空気を醸していた。つまりオーイェ君が思い浮かべる金持ちとはああいうものなのかもしれない。彼の無邪気な様子に、何となく気の毒な気がしないでもなかった。にじみでた坊ちゃん育ちの雰囲気からすると、彼の期待とアメリカでの現実とのギャップは相当大きいだろう気がした。今のバラ色が裏返ったときのイメージが、ウエノさんをのせてシクロを走らせるホーンの得意気な表情と、彼女の本音を知ったときの逆上した顔への変化に重なった。

 しかし、実際にどうかはそのとき彼が感じることだ。それにたとえぼくが何と言おうと、うなずく彼はほとんど理解していないのだともうわかっていた。彼の「英語と中国語とフランス語も話せる」レベルの自信過剰っぷりに、真似できんなぁとぼくは苦笑した。

 空が暗くなり、体にあたる風が肌寒かった。田舎道に外灯はなく、ヘッドライトだけが地面を照らし出している。町に戻る頃にはあたりはすっかり闇に沈んでいた。果てしなく反復されるラッキーだハッピーだという言葉にぼくは疲れ果て、うなずく気力もなく押し黙っていた。つまるところ、彼の用事につきあわされただけだった。生活費を運び、アメリカからの電話を受ける。それにしても――まったく、とぼくは思った。きれいな海辺ってどこのことやねん……。