独りと孤独

 「東の町のマンカウ通り」は、ぼくが勝手に名付けた、マンカウの露店の並んだ一角だ。その近くの小学校の校庭で子供たちがサッカーボールを蹴っていた。混ぜてもらい、ぞうりを脱いでボールを追いかけた。コンクリ舗装された地面のおかげで左足の踵の皮がはがれた。汗をかき、休憩がてらグラウンド脇に出ていた露店で冷茶を飲んでいると、生徒のひとりがやってきた。「先生にお茶をおごってあげて」と身ぶりでいう。先生がのどをうるおす姿を満足そうに見守る生徒たちの顔に、ぼくは新鮮な思いがした。

 立ち寄ったカフェのバルコニーの外は夕暮れの穏やかな空気に充ちていた。空のやわらかな色に、気持ちがどこまでもニュートラルに近づいていくようだった。

 旅をはじめたころ、なぜ旅に出たのかと訊かれて答えに窮した。それはたぶん今でもかわらない。けれど、旅の理由ではなく、ぼくの旅についてなら多少は言えるかもしれない。ぼくにとって旅の中身は移動距離ではなく、時間で計れるものでもないと。

 物理的なものだけではないことは、ひとりであることや誰かとともにあることも同様だ。ひとりになることは、まわりとの関係を切ることを意味するのではない。ひとりきりでいることがまわりとの関係を断ち切るのではなく、ただ関係を切る精神が孤独を作るだけ。大勢でいようとひとりでいようとつねに他者とのつながりは存在し、逆に孤独もまた同じように存在する。孤独というのは、関係性を切る自我によって生みだされるのだ。