磨耗した神経

 薄暗いうちにやってきた迎えのピックアップトラックの荷台に腰かけ、朝のひんやりとした風を受けながら、後ろにすぎゆく風景を眺めた。椰子の木が林立し、高床式の住居が点在している。それらは今までバイクの後部座席から目にしたものとは違って見えた。空は透明で清らかだった。青から赤へと鮮やかに空を染める朝焼けは繊細で、あまりの美しさに見とれてしまう。皆、無言で空や雲や草や木に視線を投げかけていた。

 プノンペンに着くと、日本人旅行者ふたりとバイタクでホテルに向かった。以前バンコクで知り合ったヤマギワさんとボートで偶然再会し、彼の連れとトリプルの部屋を借りないかという誘いにぼくは軽く応じたのだった。シャワーとトイレ付きの三ベッドで七ドル、ひとり二ドル九百リアル。大きな窓があり室内は明るく、バルコニーへ直接出られる。ベニヤの壁で仕切られた、窓のない三ドルのシングルとはたしかに大違いだった。

 朝食は摂らず水を少し飲んだだけだったが、腹具合は小康状態を保っていた。それなのに気分はすぐれない。まだ体調が万全ではないのか、懲りもせずまた集団行動の束縛と安心に入りこんでしまったことに気分が重くなったのか。

「やつれたね」とナナさんが言った。「げっそりしてる」
 レストランでナナさんと連れのフキちゃんに会い、ベトナムビザの相談をしていた。これまでの自省から、日程を彼らに合わせるのは気が進まない。けれどせっかく待っていてくれたのだからと、やはりベトナムまではいっしょに入ることにした。

 部屋に戻ると、また完全な下痢に戻ってしまった。体のだるさにぼくはベッドで横になり、地図帳を見つめた。ベトナムビザの申請には、ベトナムからの出国地点や陸路か空路かの項目まで埋めねばならない。それにはまずルートを決める必要がある。ベトナム中部からラオスに入ってタイに戻るか、ラオスから中国へと抜けるか。それともベトナム北部から中国の昆明方面、または中国の南寧へのルート……。地図を眺めていても何の思いも浮かんでこない。期待も興味もひろがらず、疲れと物憂さだけがあった。窓の向こうでは光がぎらついている。往来のけたたましい騒音もあいかわらずだった。

 ぼくはなぜ旅をしているのだろう。目的のない旅? 格別ほしいものも、見つけたいものも、最初からなかったというのに……。ほんとうに? 何かを欲していたからこそ旅に出たのではなかったのだろうか。うまく認識できなかったけれど、何かをやりたかった。ほんとうはそれを見つけたかったのかもしれない。自己否定することもなく、かといって大げさに正当化することもなく、行為だけがある何かを……。

 ドルの現金はもう残りわずかなはずだ。しかしビザ代を確かめていなかった。無理して起き上がり、首から皮紐でつるしたキーで、バックパックのポケットにつけた小型の南京錠をはずした。かばんの底にしのばせ、またはいくつかのポケットに分散させていた札入れを取り出し、ドルの現金をかきあつめる。四九ドル。これで足りなければ、これから銀行まで出かけてT/Cトラベラーズチェックを両替せねばならない。そうなったら面倒だなと思いながら下の受付へ確認におりると、ぎりぎりの四八ドルだった。

 さまざまなレベルに存在する欲望の補足は難しい。ほしいものなどないと思いながら、実は何かを欲していることをぼくは知っていた。何もいらないと思っても、次の瞬間には、どこからか湧き出した欲望にとらわれる。あるいは、思考のない状態を欲しながら、思考のなかにいた。

 旅に出て、見つけたかった。これだ、と思えるものを。しかし、日本との表面的な違いは時を移さずその鮮やかさを失い、目の前に見えるものは、ぼくが何かを発見し、つかみとる対象ではなく、ただそこにあるだけのものとなった。移動するときは文化や風景の違いが目を楽しませもしたが、たどりつきしばらく滞在してみると、とたんに空気は澱み、停滞して感じられた。同じだ。言語や食物、経済的豊かさや見た目は違うかもしれないが、その根本にある人間性は同じじゃないか……。ぼくは幻想を追い求めているのかもしれない。どこかに特別なものがあるのではという淡い期待が、またぼくを動かしているのかもしれない。根拠のない願望の投影された幻想が。

 金を持って再度下までおり、ビザの申込みをすませた。とりあえず陸路でラオスのラオバオへ抜けることにしておいた。そこからタイに戻るサークルをぼんやり思い描いていた。その後は日本へという気持ちが意識下にあったのかもしれない。

 残りの一ドルといくらかのリエルで薬が買えるのかおぼつかなかったが、近くの薬局に向かった。英語が多少通じるというおっさんに、事前に辞書で調べた下痢の訳語を伝え、症状を示すイラストを描いた。およそ薬屋らしくない風貌のおやじは「××××だろ?」とクメール語を繰り返した。和英辞典の「抗生物質」を示すと、彼は息子を呼んだ。出てきた息子はすぐ理解して白色の錠剤を出し、ぼくがさっきの絵を見せるとさらに二種類取り出した。三種類の三回分で、残りのリエルで足りる額だった。ポケットに手を突っ込むと、裸で入れたまま忘れていた五ドル札が出てきた。

 夕食後、部屋に戻ると、小虫が大発生しているとタクさんとヤマギワさんが騒いでいた。窓から入ってきたらしい。害のあるようには見えなかったが、彼らは気持ち悪がって蚊取り線香をたき、虫をつぶしている。ベッドに寝転がり、いくぶん冷めた気分でその様子を視界の隅で捉えながら、ぼくは三人で入った中華食堂に物乞いが来たときの会話を思い返していた。

ヤマギワさんによると、一般の食堂では中まで入ってくるけれど、ホテル下のレストランでは外のテーブルはいいが柱の内側には入らないという不文律があるらしかった。
「これさえなければなぁ」物乞いが去るとタクさんが言った。「うっとうしいんだよな」
「うっとうしいですよね」ヤマギワさんがうなずいた。「飯がまずくなる」
「シェムリアップでもいたよねー」
「せっかくうまい飯食ってても味が半減しますよ。しまいには腹立ってくる」

 不自由なく食事をとる自分と物乞いとがまるで無関係であるかのような閉じた感覚は、ぼくには理解しがたかった。食後彼らと別れ、イワタさんとホテル下のレストランの外のテーブルに座った。やってきた物乞いはなるほど外側のテーブルだけをまわっていく。ぼくが道路に背を向けていたので、彼らはイワタさんにだけ帽子をさしだし、手を合わせた。

 タクさんの吸うマリファナの煙が室内に漂いはじめた。その特徴的なにおいだけは慣れることができない。タクさんはぼくより三つ上の三十二歳で、日本では本人曰く「土方どかた」をやっていたという。長髪を後ろで括り、端正な顔立ちをしていて、人当たりも悪くなかった。

 ぼくは天井を見ながら、自分の違和感について考えていた。シェムリアップでは宿の広間でマリファナを吸う者たちを否定的にとらえ、今は同室のふたりと距離を置き、物乞いへの言葉に疑問を感じている。けれども、そうやって批判的な目を向けるときに反対側――こちら側――にいるらしい自分とはいったい何者なのだろう。そんな自分と相手との関係はどうなのか。実際は、物乞いを前に同じくだんまりを決め込む自分も同じ穴のむじなだった。ふたりにたいして心に思うことがあっても口にせず押し黙っている自分の立場に、どれほどの正当性があるのだろう。それは非現実的な思考のなかの自己像ではなく、ほんとうにここにいるぼくそのものなのだろうか? 

 ぼくはしだいに、集団行動をただ忌避するのではなく、状況に身を任せるようになった。ひとりのときは歩き、三人のときには近距離のバイタク移動もよしとする。セントラルマーケットでの布や宝石の買い物につきあい、その後はひとりで町をぶらついた。

 気がかりだった雨季のスコールは、日本のしとしと雨とは違って豪快で気持ちよくさえあった。空を黒雲が急に覆う。大粒の雨がパラパラと降り始めたと思うと、どしゃぶりになる。そんなとき、よくベランダに出て通りの様子を見物した。

 道路が水で溢れると、人びとは濡れまいとする努力をおおかた放棄していた。ほどなく間道は冠水し、池のようになってバイクも車も通れなくなる。子供たちはこのときとばかりに歓声をあげながら――声は聞こえないけれど嬉しそうな顔でわかる――天然プールの中を駆けまわり、泳いでいる。バラバラの箱を積み上げたような造りの向かいの建物では、あまりの雨量に住人夫婦がベランダに流れ込む水をバケツで掻き出しはじめた。排水管がないらしい。狭い場所で親たちのあいだを子供たちが大はしゃぎでスライディングしている。そんな子供たちを叱り飛ばすわけでも追い払うわけでもなく、面倒なはずの作業をしている親の顔もほころんで見えた。